大塚海夫(おおつか・うみお)は昭和35年8月生まれ、東京都出身の海上自衛官。
防衛大学校第27期の卒業で幹候は34期だ。
平成29年12月(2017年12月) 情報本部長・海将
前職は海上自衛隊幹部学校長であった。
(画像提供:海上自衛隊幹部学校公式Webサイト)
(画像提供:海上自衛隊幹部学校公式Webサイト)
2018年11月現在、陸海空3自衛隊の統合部隊であり、我が国最大の情報組織でもある情報本部を率いる大塚だ。
その要員は、事務方を含めて2000名を大きく超えるほどの大規模な組織であり、海外の政治・経済・軍事といった諸情報を含め、国防に関するあらゆる情報を扱う。
ぶっちゃけ当サイトも監視されているのではないかと、たまにガクブルしながら筆を進めているとても怖い組織である。
私は怪しいものではございません・・・、どうぞお目こぼし下さいませ(泣)
指定職でいえば4号にあたり、海上自衛隊のポストでは呉地方総監と同格の要職だ。
統合部隊であることもあり、陸海空の将が交代で務めているが、海上自衛隊からの着任は2005年1月の太田文雄(第14期)が退役して以来、13年ぶりの着任となる。
なお大塚の前任は、管理人がもっとも尊敬する自衛官の一人である宮川正(第26期相当)・元空将。
歴代の多くの情報本部長は、このポストを最後に退役をして一旦は民間に就職。
その後、程なくして指定職6号となる情報系の最重要ポスト、内閣衛星情報センター所長として再び政府に戻ってくることが多いが、宮川もその一人となっている。
これほどの要職を任される大塚のことなので、そのキャリアは非常に充実した、トップエリートのそれになっていることは言うまでもない。
しかしそれよりも特筆するべきは、大塚のその志であろうか。
大塚が自衛官になることを決め、国防に重い責任を担う決意をしたのは、なんと小学校時代。
幼小中高の一貫教育で知られる東京都の暁星高校の出身であり、その小学校時代にはすでに、周囲に「海軍の士官になる」と公言していたほどである。
そして、小学校の頃からの夢であり目標であった提督に本当に昇ってしまったのだから、まさに有言実行の、鉄の意志の持ち主だ。
「海夫」という名前と併せ、海を愛し、海に愛された、我が国を代表する海の男であると言えるだろう。
そして、海自の最高幹部としてあらゆる要職を経験し、情報系の最重要ポストにまで昇ることになった。
では、そんな海自を代表する活躍をしてきた大塚とは、一体どんなキャリアを積み上げてきた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
大塚元海将、今は在ジブチ特命全権大使閣下ですね。自衛隊拠点もあるし、やはり史上初の自衛隊出身大使として頑張って頂きたいものです。
凄いですよね!
大塚元海将らしいご活躍です!
語学の天才と言っても過言の無い人です。防大卒業後の遠洋航海で、各国を回る間に2、3ヶ国語をマスターしてしまったという証言があります。