藤田英俊(ふじた・ひでとし)は大分県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第31期の卒業で幹候68期、職種は高射特科だ。
生年月日は確認できないが、31期ということであればストレートの場合、昭和39年度生まれの年次にあたる。
平成29年3月(2017年3月) 福岡地方協力本部長・1等陸佐
前職は東部方面総監部情報部長であった。
(画像提供:自衛隊福岡地方協力本部公式Webサイト)
(画像提供:自衛隊福岡地方協力本部公式Webサイト)
2018年11月現在、福岡地方協力本部長の要職を務める藤田だ。
この福岡地本長は、かつては陸将補の着任するポストであった時期もあり、また後職で陸将補に昇任する幹部も多いなど、1佐の着任するポストとしてもっとも重要な地方本部の一つになっている。
実際に、藤田自身も非常に充実したキャリアを積み上げてきた幹部であり、印象深いポストが多いが、敢えて上げるとすれば国際関係の分野、とりわけイラク復興業務支援隊での活躍だろうか。
ご存知のように、我が国がイラク戦争の後、イラクで展開した復興業務には大きく3つの種類があった。
1つは、現地の治安維持活動に協力を行う警務派遣隊。
1つは、破壊された街のインフラ修復や学校などの公共設備の建設といった作業を行うイラク復興業務支援群。
そしてもう1つが、現地政府などとコミュニケーションを取り、外務省や日本政府との調整業務を行い実務を支援する、イラク復興業務支援隊だ。
このうち、藤田がイラクに赴き任務についたのは、3つ目のイラク復興業務支援隊であった。
いうまでもなく、戦争で荒廃した国土に足を踏み入れるのは、どう考えても危険な任務だ。
今では将官に昇り、師団や方面隊を率いる多くの最高幹部も1佐時代にこの支援群長や支援隊長を務めたが、知る限りそのほとんどが、現地赴任前に家族に遺書を残している。
そしてその子供たちも、自身の親が命を落とす可能性がある「戦場」に行くことを理解し、涙を堪えてその後ろ姿を見送ったエピソードは枚挙にいとまがないが、きっと藤田にもそういう一コマがあったのだろう。
年齢的には40歳前後の2等陸佐であった頃のはずなので、多くのものを背負いながら、現地に向かったはずだ。
私たち国民は、PKO活動などで自衛隊が海外に赴任するというニュースを、ただニュースとしてしか聞くことはない。
しかしその裏には、当たり前の話だが国益のために危険を覚悟で現地に足を運び、任務を果たす自衛官がいる。
そしてそれ以上に多くの家族が、自衛官と共に国益のために協力し、戦ってくれている。
ぜひ、自衛隊が海外で国際貢献活動を行っているというニュースに接した時には、その活動を行う一人ひとりの自衛官とその家族にも思いを馳せ、僅かでもその心情に想いを寄せて貰えれば幸いだ。
では、そんな危険な任務を始め、多くの国際関係分野で成果を上げてきた藤田とは、どのような経歴を歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、そのキャリアを見ていきたい。
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