城殿保(北部航空方面隊司令官・空将)|第29期・航空自衛隊

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城殿保(きどの・たもつ)は昭和36年11月生まれ、愛知県出身の航空自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候75期、出身職種は飛行だ。

 

平成28年7月(2016年7月) 北部航空方面隊司令官・空将

前職は航空幕僚監部人事教育部長であった。


(画像提供:航空自衛隊三沢基地公式Webサイト 広報誌みさわ426号)


(画像提供:航空自衛隊北部航空方面隊公式Webサイト

2018年9月現在、北部航空方面隊司令官を務める城殿だ。

元々はF-15戦闘機のパイロットだが、かつてはF-2戦闘機の開発に携わり、テストパイロットとしての飛行経験も持つ。

また平成24年7月から務めていた第3航空団司令(三沢)時代には、F-2戦闘機も乗りこなすなど、戦闘機パイロットとして非常に豊富な経験を持つ空将である。

 

その城殿が預かる北部航空方面隊は、三沢基地に所在し、東北の北部から北海道を担当エリアとしている。

そのため、一義的な正面勢力はロシア(ソ連)ということになるが、高度な警戒態勢が敷かれていた1976年の冷戦期には、同方面隊でベレンコ中尉亡命事件が発生。

この事件は、現役のロシア軍パイロットが、当時としては最新鋭であったMiG-25に乗ったまま函館空港に強行着陸し、そのまま亡命申請をするという衝撃的な事件であった。

当然のことながら日米ソ3カ国の間には緊張が走り、ベレンコ中尉奪還のためにソ連が侵攻を開始する事態も想定されたため、陸海空自衛隊が全て、臨戦態勢に入る。

結果として、ソ連は抑制的に動いたため紛争には発展しなかったが、その後もソ連機が我が国領空を窺う挑発的な動きを繰り返すなど、長き渡り国防の最前線となっていた方面隊だ。

 

やはて冷戦体制が崩壊し、2018年現在の日露関係の現状は、表向きは良好であり差し迫った軍事侵攻の脅威は遠ざかっている。

しかしながら、そもそもが2国間条約である日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、我が国の領土に侵攻した歴史を持つ国だ。

近年のロシアの軍事行動を概観しても、軍事バランスの崩れた空白地帯にはためらいもなく侵攻する価値観を持つ国家であることが、明白に読み取れる。

すなわち、表向き落ち着きを維持している安全保障環境であるからこそ、次の侵攻シナリオを模索していると考えるべきであり、北部航空方面隊の緊張感と警戒態勢には一切の揺るぎがない。

差し迫った脅威はなくとも、現実的な脅威は今も昔も変わらないということだ。

城殿以下、北部航空方面隊にかかる国民の期待もまた同様に変わらず、そして非常に大きい。

 

では、そんな北部航空方面隊を預かる城殿とは、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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