小城真一(こじょう・しんいち)|第26期・航空自衛隊

小城真一は鹿児島県出身の航空自衛官。

防衛大学校第26期の卒業で職種は補給。

平成27年12月(2015年12月) 第20代航空支援集団司令官・空将。

前任は防衛装備庁長官官房装備官(航空担当)であった。

2017年8月8日付け事例が発令され、小城真一の勇退が決定された。

長きに渡り国防に力を尽くし、私心無く最後まで任務に邁進した小城空将の、我が国安全保障への大いなる貢献に敬意を表し、その第2の人生が素晴らしいものになることを心から願いたい。

長年に渡る任務、本当にお疲れ様でした。

まずは制服を脱ぎ、ゆっくりとお過ごしください。

【以上、2017年7月30日更新】

ここから下の部分は、2017年7月11日に記した小城のキャリアに関する説明。

その為、勇退が決定する以前の情報も記されている。

2017年7月現在、小城が補職されている航空支援集団は、航空自衛隊に関する輸送業務や航空管制・飛行管理を行う部隊であり、防衛大臣直轄の極めて重要なポストとなっている。

隷下には政府専用機の運用を行う特別航空輸送隊も擁しており、また空中給油機の運用で戦闘集団を支援するなど、戦略的・戦術的オプションを広げる役割を担っていることから、その存在は飛び道具のように敵性勢力には脅威となる。

また航空機動衛生隊を運用し、時に「空飛ぶICU(集中治療室)」とも呼ばれる機動衛生ユニットを搭載したC-130輸送機を活用して、重症・重傷患者の救命救急にも力を発揮する、空のスペシャリスト集団だ。

その小城のキャリアの中で目立つものと言えば、やはり平成25年8月から補職されていた技術研究本部技術開発官(航空機担当)であろう。

小城自身はパイロットでもなくパイロットの出身でもないが、このポジションは次世代戦闘機の研究・開発を行う部署であり、時に平成の零戦とも呼ばれる通称「心神」が、その主な研究対象であった。

小城はこの時期、関係団体に招かれ盛んに「次世代戦闘機」について講演活動を行っているが、やはり話が具体化していくのは平成30年以降であり、今(平成25年頃)はまだ、「機体」「アビオニクス」「エンジン」の3要素を個別に開発している段階であると述べている。

また統合センサーシステムや戦闘機用統合火器管制技術の飛躍的な向上により従来とは全く異なる戦い方が想定されている旨を示唆しているが、その構想が具体化するにはまだ時間がかかりそうだ。

第26期組の空自将官は残りわずかとなり、尾上定正(26期)空将と小城のみとなってしまったが、航空自衛隊を裏方から支える要職を預かるものとして、さらに国防のために、力を尽くしてもらいたい。

◆小城真一(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
57年3月 防衛大学校卒業(第26期)

平成
17年4月 航空幕僚監部総務課庶務室長(市ヶ谷)
18年3月 航空幕僚監部防衛課長(市ヶ谷)
19年7月 第3補給処長(入間)
20年12月 第1術科学校長(浜松)
21年7月 統合幕僚監部首席後方補給官(市ヶ谷)
22年7月 防衛監察本部監察官(市ヶ谷)
23年8月 航空幕僚監部防衛部長(市ヶ谷)
25年8月 技術研究本部技術開発官(航空機担当)(市ヶ谷)
27年10月 防衛装備庁長官官房装備官(航空担当)(市ヶ谷)
27年12月 航空支援集団司令官

29年8月 航空支援集団司令官を最後に勇退

本当にお疲れ様でした。

◆姓名判断

得意分野では驚異的な集中力を発揮し成果を上げるものの、興味がない事は例え仕事であっても取り組もうとしないなど、良くも悪くも職人的な仕事をするタイプ。

そのため、特定の分野に特化して取り組めるような職業を選ぶことで成功の可能性が高まる。

基礎運は強いものをもっているが、損得を考えずに人生の道を選択することから、経済的に成功するとは言えない人生になる。

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 航空支援集団公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/asc/commande.html

防衛省航空自衛隊 岐阜基地公式Webサイト(F-2戦闘機写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/gifu/gallery/

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