西和男は宮崎県日南市飫肥(おび)出身の海上自衛官。
防衛大学校第32期の卒業で、地元の日南高校を昭和59年3月に卒業し防衛大学校に入学。
そのため、昭和40年(40年度)の生まれと推測される。
防大時代は野球部に所属しピッチャーで活躍した。
平成28年7月(2016年7月) 掃海隊群第1掃海隊司令・1等海佐
前任は統合幕僚監部統合人事室長であった。
2015年から2018年にかけては、陸海空自衛隊の大改革が行われている変革の年になっているが、その中でも掃海隊群の役割強化と組織再編も非常に大きなものとなった。
すなわち、それまで護衛艦隊隷下に所属していた第1輸送隊が2016年、掃海隊群隷下に編成替えとなり、掃海隊群隷下では掃海隊群直轄であった掃海母艦うらがとぶんごが、それぞれ第1掃海隊と第3掃海隊所属となった。
この再編は、掃海隊群に第1輸送隊を組み合わせることで、離島防衛作戦を敢行する際には強襲揚陸作戦の指揮を掃海隊群に執らせる事を意味し、掃海母艦と掃海艇の組み合わせで、掃海作業をより効率的に行える部隊に再編成した事を意味する。
機雷戦は、我が国の島嶼防衛を行う上で極めて重要な意味を持つ。
すなわち、機雷とは海からも空からも設置することが出来る上に、「仕掛けられているかもしれない」と相手に思わせるだけで、海上からの実力部隊の進行が止まる。
具体的に想定されるのは、尖閣諸島に中国軍が奇襲上陸を仕掛け実効支配を試みる事態が発生した場合、まず考えられるのは島嶼周辺に機雷をばら撒いて、我が国の奪還作戦を阻止するという行動だ。
このような事態になった場合、最前線に立ち脅威を取り除くことが出来るのは掃海隊群しかいない。
だからこそ掃海隊群において、効率的な掃海作業を進めるための組織改編が行われ、その隷下に強襲揚陸艦隊である第1輸送隊が編入されるという組織改編が行われた。
尖閣を始め、我が国の島嶼部で有事が発生した際にはまず、西が指揮する第1輸送隊を始めとした掃海隊が敵の最前線で掃海作業を行い、その水先案内に従い、西部方面普通科連隊を始めとした強襲揚陸部隊が、第1輸送隊に乗り込み、奪われた島嶼部に殴り込みを掛けることになるだろう。
これまで掃海隊というと、第2次世界大戦時に米軍が仕掛け遺棄された機雷の爆破処理を行う部隊として認識されていたかもしれないが、2017年現在、この部隊は我が国の命運を背負っているといっても過言ではない、殴り込み部隊最前線となっている。
西が司令を務めている第1掃海隊とはそのように、有事の際にはもっとも命を落とす危険が高い防人たちの部隊であり、命知らずの海の精鋭たちが集められた部隊だ。
そのため、掃海隊を任される部隊指揮官、掃海隊の母港となる阪神基地隊司令などの職は年々そのポストの重要性を増しており、後職として海自の重要ポストに登用される人物が目立つようになってきた。
2017年8月現在、海上幕僚長を務めている村川豊(第25期)も阪神基地隊司令の経験者であり、今後もこれらのポストは、最高幹部に進む者たちが多く通っていくキャリアになっていくだろう。
そんな強者が集まる第1掃海隊だが、その指揮を執る西という男は、その顔からもなんとなく伝わるようであるが、非常に情に厚く、涙もろく、人情味のある海の男である。
訓練中、指揮官の顔となった時には、部隊任務の性質上その指揮は厳しく妥協を許さない。
その一方で、訓練を終え一人の上司に戻った時には柔和な顔になり、とても親しみやすい指揮官となる。
2016年に西の地元、宮崎県日南市沖の海で掃海隊の大規模な対機雷戦訓練が実施された際の出来事だが、21隻からなる掃海母艦と掃海艇が油津港に入港し、歓迎の式典が開かれたことがあった。
この際、地元の幼稚園児たちが歌を披露し西以下、1100人を越える海上自衛隊員を出迎えたのだが、この幼稚園児の歌に西は感激のあまり大粒の涙をボロボロ流してしまう。
さらに答礼の挨拶では涙声で言葉に詰まり、子供たちと地元の暖かい歓迎に声にならない声で感謝の辞を述べるのだが、その一部始終を地元の日南テレビにバッチリと撮られてしまい、地元中に放映されてしまった。
ある意味で、厳しい海の世界に生きる男らしい一面を見た気がするが、常に死と隣り合わせの極めて苛烈な任務を背負っている分、自分たちがその命をかけて守りたい故郷と、その故郷に生きる、命をかけて守りたい子供たちの歌が強烈に心に響いたのであろう。
強くて、そして心優しい我が国の防人たちの姿を、こんなところでも垣間見た気がする。
私たち日本国民は、このような誇り高い、そして強くて優しい自衛隊の精鋭たちに守られ、平和を享受し愛する国と故郷、子供たちと共に生活することができている。
余り目立つことはないかもしれないが、海上自衛隊の艦艇一般公開ではぜひ、ひゅうがなどの最新鋭ヘリ 空母 搭載護衛艦だけでなく、本当に小さくて驚くかもしれないが、掃海艇や掃海母艦にも足を運んで欲しい。
なぜならその小さな船と、そこに乗り組んでいる海の猛者たちが、有事の際には最前線で戦うことになるかもしれないからだ。
そしてそこで働く曹士や幹部を見かけることがあったら、どうか、「いつも厳しい任務、本当にお疲れ様です」と一声掛けて欲しい。
そのような一言が、海上自衛官に何よりの活力になり、高い士気に繋がる。
そんなこともまた、私たち一般国民が国防に貢献できる大きな手段であることを、どうか知ってほしい。
◆西和男(海上自衛隊) 主要経歴
昭和
63年3月 海上自衛隊入隊(第32期)
平成
7年3月 第51掃海隊
9年3月 まえじま艇長
10年3月 長官官房広報課
12年3月 のとじま艇長
14年3月 外務省ロシア課(出向)
16年4月 第46掃海隊司令
17年8月 自衛艦隊司令部幕僚
20年10月 舞鶴地方総監部人事課長
21年10月 海上幕僚監部厚生班長
23年8月 掃海隊群司令部幕僚
24年12月 舞鶴地方総監部管理部長
26年3月 統合幕僚監部統合人事室長
28年7月 第1掃海隊司令
◆姓名判断
若年より様々な方面に才能を発揮し、実力が評価され力づくで出世を勝ち取る、力強さに溢れた成功者に多く見られる相。
社交性もあり人付き合いも上手いが、その一方で信念を譲らない頑固さは相当なもので、人間関係を維持するために信念を譲るような事は一切しない。
そのことが時に、組織の中でマイナス評価になることもあるが、概ね困難に打ち勝ち、成功を重ねていく人生になる。
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。
【引用元】
防衛省海上自衛隊 第1掃海隊公式Webサイト(顔写真)
http://www.mod.go.jp/msdf/mf/other/butai/hp/1md/np2.html
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