渡邉浩(わたなべ・ひろし)|海上自衛隊

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渡邉浩(渡辺浩)は長野県出身の海上自衛官。

防衛大学校(機械工学)卒業で、第 63 期海上自衛隊幹部高級課程及び第 12 期統合高級課程修了。

 

平成28年12月(2016年12月) 掃海業務支援隊司令・1等海佐

前職は大湊地方総監部防衛部長であった。

 

2017年8月現在、渡邉が補職されている掃海業務支援隊は掃海隊群隷下にあり、掃海隊群の各艦船、隊員に対して機雷艦艇の運用に必要な各種訓練などの支援を行うことはもちろん、対機雷戦を想定した水路の調査や機雷の処分方法、航行水路に対する資料収集といった幅広い任務を行っている。

 

具体的に、尖閣諸島などで有事が発生し自衛隊が奪還作戦に動く際、中国軍がどの海域のどの航路に機雷を仕掛ける可能性があるのか。

それら機雷をどのように処分し、味方艦艇に対し航路啓開を行うのか、といった想定を行い、そのための訓練を行う。

また尖閣に限らず、我が国周辺海域において同様の可能性に備え、広く我が国の海上交通を支え、有事の際には実力部隊の水先案内人になる部隊で、海上自衛隊にとっては極めて重要な縁の下の力持ちと言える部隊だ。

 

そもそも渡邉が指揮を執る掃海業務支援隊が所属する掃海隊群は、今も非公式扱いだが、その初代とも言える掃海隊が我が国の敗戦後に「初めて戦争に参加した」部隊でもある。

時は朝鮮戦争真っ只中の1950年10月。

日本を占領中の連合国軍からの要請、事実上の命令に基づき、我が国は元海軍将兵を中心とした掃海隊を組織し、朝鮮半島に向け派兵。

北朝鮮軍が朝鮮半島沖にばら撒いた機雷除去の任務を担うことになった。

 

本論ではないので詳細は割愛するが、この時アメリカ軍将校の日本掃海隊に対する態度は、敗戦国の将兵に対する戦勝国の思い上がった態度そのものであった。

そのため、リスクを無視し無謀な機雷掃海を命じられた我が国の将兵は作戦行動中、50余名を越える非常に大きな犠牲者を出す。

しかしながら、海軍軍人としての矜持を失わず、与えられた任務をこなすことで連合国軍に貢献した我が国の将兵の奮闘は凄まじく、この時の貢献がきっかけとなり、我が国の再武装が進むことになるのは歴史が示すとおりだ。

 

なおこの際、無謀そのものの掃海作業を命じられ、適切な対案を意見具申をしたにも関わらず米軍に受け入れられなかったばかりか、言うことを聞かなければ砲撃するという理不尽な恫喝を米軍から受けた掃海隊の指揮官がいた。

この際この指揮官は、部下の将兵を無駄死にさせることはできないと抗議の意志を示し、任務を放棄しそのまま日本に帰国するという大胆な行動に出る。

これもまた、敗戦国の軍人とはいえ、誇りまでも失ったわけではないという軍事らしい矜持の現れであり、部下の命を預かる指揮官として誇るべき、責任の全うの仕方であるといえるであろう。

 

なおこの時、指揮官であった男の名前は能勢省吾。

当然のように帰国後にクビになるが、後日海上自衛隊に入隊し海将補に昇進。

掃海屋として戦後、我が国周辺海域で機雷を除去し続け、航路啓開を通じ戦後の経済発展に貢献し続けることになる。

そして、横須賀地方総監部副総監の要職を最後に退役するものの、国家に奉仕する熱い思いは冷めるところを知らず、横須賀市議会議員となり議長など要職を歴任。

その経験を広く行政にも活かし、最後まで我が国の発展のために尽くした。

 

まさに、渡邉の大先輩である掃海隊の元祖のような男だが、残念ながらその名を知るものも、その男が我が国の国益のために為したことも、今を生きる日本人の間では全く知られていない。

とても残念だが、或いは掃海隊とはそのような存在なのであろうかと、いぶし銀のようなこの部隊の存在を少しでも知ってもらえれば幸いだ。

 

 

とはいいながら、掃海隊群と言えば近年、海自第1輸送隊をその隷下におさめたことから島嶼部で有事が発生した際には最前線に立ち、我が国の防衛戦で主要な戦力になることが予想されている。

すなわち第1輸送隊と言えば、事実上の強襲揚陸艦であるおおすみ、しもきた、くにさきの輸送艦からなる部隊で、90式戦車や機動戦闘車も海上輸送できるLCACを搭載していることでも知られる。

 

西部方面隊普通科連隊と連携し、島嶼部で事ある時には奪還作戦の戦闘に立つことが確実な部隊だ。

 

掃海隊群という存在は、平時においては第2次世界大戦中に仕掛けられた機雷の除去を行い、有事を想定した対機雷戦の研究を行うわけだが、裏を返せば、有事において味方の艦艇に航路を切り開き、戦闘の最前線に立つことを要求される過酷な部隊となる。

 

そのため渡邉自身も、

「米国の水陸両用作戦の趨勢 : 統合ドクトリンの比較を中心に (特集 海上自衛隊の新たな挑戦)」

といった論文を著している他、

「機雷の脅威を検討する- 中国「近海」における機雷戦 -」

といった本を翻訳し日本に持ち込むなどの執筆活動を行っており、まさに戦闘の最前線に立つ覚悟を持ち、掃海屋の最高幹部として、常在戦場の心構えで職務に邁進している。

 

掃海屋といえば戦後の機雷処理を行う後方支援のような部隊というイメージを持っている人も多いかもしれないが、その任務と言えども、直ちに生命の危険が伴う過酷な任務であり、なおかつこのような戦闘職種であることも、ぜひ知って欲しい。

 

南西方面で中国軍と有事があるとすれば、おそらくその際、戦闘の帰趨を決めるのは渡邉のような掃海隊群を始めとした「戦闘準備部隊」であり、「最前線部隊」であろう。

小さな掃海艇が担う大きな責任と仕事。

ぜひ、掃海艇の一般公開がある時には、そんな目線でこの「小さいけど凄いやつ」を、しっかりと見学して欲しい。

 

◆渡邉浩(海上自衛隊) 主要経歴

12年3月 掃海艇いえしま艇長(下関)
13年3月 海上幕僚監部総務課(市ヶ谷)
15年3月 大湊地方監部防衛部(大湊)
17年3月 掃海隊群司令部作戦幕僚(横須賀)
18年9月 第1掃海隊司令(呉)
20年3月 統合幕僚監部運用第1課(市ヶ谷)
21年12月 第51掃海隊司令(横須賀)
24年8月 中国四国防衛局防衛補佐官(広島)
25年8月 海上幕僚監部防衛部防衛課防衛調整官兼防衛政策局日米防衛協力課(市ヶ谷)
27年4月 大湊地方総監部防衛部長(大湊)
28年12月 掃海業務支援隊司令

 

◆姓名判断

広く様々な分野で才能を発揮するものの、その中でもっとも異質な能力を発揮するのが博才で、勝負事に強い人物に多く見られる相。

そのため、勝負事や真剣勝負が大好きであり、まともな職に就かなければただの博打打ちとして一生を終えることになる可能性が高い。

男性の場合、そのような性格が「男らしい」と見えることから女性にもモテるが、そのことを原因としてさらに人生が狂うことも。

 

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 掃海業務支援隊公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/mf/other/butai/hp/mwsc/message/index.html

防衛省東北防衛局 公式Webサイト(セミナー顔写真)

http://www.mod.go.jp/rdb/tohoku/topics/280906_seminar/page.html

 

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