敷嶋章(しきしま・あきら)|第32期・海上自衛隊

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敷嶋章は昭和40年2月27日生まれ、福岡県出身の海上自衛官。

筑紫高校卒業後、防衛大学校に進み第32期(管理学)の出身。

幹候39期(88幹候)。

 

平成28年3月(2016年3月) 自衛隊鹿児島地方協力本部長・1等海佐

前任は第61航空隊司令であった。

なお、鹿児島地方協力本部長としての指導方針は以下の通り。

 

【統率方針】

「強い意志」・「誠意」

 

防衛大学校卒業以来の職種は飛行であり、P-3C哨戒機などの固定翼機のベテランパイロットでもある。

多くの海自固定翼機の現場で指揮を執り、平成23年12月からは第5航空隊(那覇)でP-3C哨戒機を用いた哨戒任務を行う副長を。鹿児島地本長の前任である第61航空隊では司令を務めた。

 

第61航空隊は厚木基地に所在し、日本全国を担当地域に収める海上自衛隊唯一の航空輸送部隊だ。

硫黄島や南鳥島と言った、海上自衛隊員が勤務する最果ての地まで物資や人員を輸送し、日本各地の海自組織が円滑に運営される縁の下の力持ちの役割を担っている。

 

第61航空隊では平成26年(2014年)12月まで、純国産の航空機であったYS-11が最後まで任務についていた部隊であることでも知られる。

50年近くに渡り海自の輸送任務をこなしてきた名機・YS-11も最後の2機となってしまっていたところ、ちょうどこの、日本の誇りであるYS-11のラストフライトを見届け、その最後の任務を命じたのが当時61航空隊指令であった敷嶋となった。

 

多くの人に見守られ最後のフライトを終えたYS-11であったが、静かにその最後のエンジンを落とした時、同じ固定翼機パイロットである敷嶋の胸中には、きっと多くの思い出が去来したのであろうか。

 

なおYS-11は海上自衛隊から完全に退役したが、航空自衛隊でまだ10機あまりが運用されているため、この2機は部品取り用として大切に保管され続けるそうだ。

 

 

近年海上自衛隊のP-3C哨戒機部隊とその指揮官は、その練度・能力・規律の高さ故に国際貢献活動に駆り出される機会が増えてきた。

ただでさえ、限られた人員と機体で極めて広範囲の哨戒任務をこなしている上に、国際貢献活動を行うとなるとそのための対処訓練、フレア発射などの攻撃回避訓練など、通常業務をこなしながら新たな任務への準備をすることになる。

 

特に、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処派遣航空部隊の勤務は極めて過酷であり、対空火器も装備している海賊相手の哨戒任務は具体的な生命のリスクも伴うことから、準備段階から実際の任務までは、海上自衛隊の哨戒機部隊にとって重い負担となってきた。

 

そして敷嶋も例外ではなく、平成24年6月から派遣海賊対処行動航空隊の司令を兼補し、アフリカに渡りジブチの地で、海賊を監視し海上の安全航行を確保する指揮官に就任。

この際の敷嶋は自らP-3C哨戒機に乗り込み、海面を見つめ不審な動きをする船舶の発見監視業務を行い、率先垂範で現場の最前線に立ち続けた。

 

このようなキャリアを経て平成28年3月からは鹿児島地本の本部長に就任することになったが、鹿児島は歴史的に海軍の要人を多く排出してきた土地柄だ。

日本海海戦においてロシアのバルティック艦隊を完膚無きまでに撃破し、世界3大提督にも数えられる東郷平八郎もここ鹿児島の出身だが、そのようなこともあり地元の高校出身者は海上自衛隊を志す生徒も多い。

 

そのため、鹿児島地本の本部長にとっては、10年後の海上自衛隊において現場の中枢を担う人材を一人でも多く確保し、優秀な生徒たちに少しでも自衛隊に興味を持ってもらうための活動を行うことも、極めて重要な任務となる。

その他、地本長のやるべき仕事は任期付き自衛官の再就職先の確保や早期退職していく多くの曹・幹部自衛官の第二の人生を探す役割も担っている。

 

いわば、幹部自衛官にとって他の部署ではまず経験しないであろう、営業や売り込みのような仕事をこなさなければならないわけだが、それゆえに社交性があり、高いコミュニケーション能力を備え、人の懐に入り込んでいく人間的な魅力が不可欠なポジションであると言えるだろう。

 

力強さを感じさせる表情ながら、その目の奥には面倒見の良さを感じさせる優しい眼差しをもつ敷嶋だが、海自のシーマンシップに溢れるスマートさと、多くのフライトで培ったパイロットとしての経験はきっと、多くの人達の心を惹きつけて離さないことだろう。

ぜひこの海軍ゆかりの地で、地本部長という重責をやり遂げ、要職を歴任していくことを期待したい。

 

◆敷嶋章(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
63年3月 防衛大学校(管理)卒

23年12月 第5航空隊副長
24年6月 兼派遣海賊対処行動航空隊司令
24年10月 解兼派遣海賊対処行動航空隊司令
25年3月 自衛艦隊司令部防災総括幕僚
26年9月 第61航空隊司令
28年3月 自衛隊鹿児島地方協力本部長

 

◆姓名判断

特定の狭い領域で深く能力を磨き、成果を挙げる、職人肌の人物に多く見られる相。

研ぎ澄まされた集中力を持って仕事に当たるため、社交性を犠牲にしてでも成果を追求する傾向があり、部下からはとっつきにくい上司と見られることも。

型通りの仕事を嫌い成果を挙げるのが苦手で、自由に働き成果を追求するのを好むことから自営業や起業家にも向いてる。

 

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省 鹿児島地方協力本部公式Webサイト(顔写真、輸送艦搭乗写真)

http://www.mod.go.jp/pco/kagoshima/kachihon/honbuchou.html

http://www.mod.go.jp/pco/kagoshima/kachihon/honbuchou2.html

 

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