三笠展隆(みかさ・のぶたか)|第37期・長野地方協力本部長

三笠展隆(みかさ・のぶたか)は昭和45年7月13日生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第37期の卒業で幹候74期、職種は航空科だ。

平成31年3月(2019年3月) 自衛隊長野地方協力本部長・1等陸佐

前職は防衛研究所主任研究官であった。

(画像提供:自衛隊長野地方協力本部公式ツイッター

(画像提供:自衛隊長野地方協力本部公式Webサイト

2019年6月現在、自衛隊長野地方協力本部で本部長を務める三笠だ。

ご存知のように自衛隊地方協力本部は、自衛官の採用、退職する自衛官に対する第二の人生の斡旋、予備自衛官の管理、自衛隊が持つ知見の民間への提供、災害時における地域行政機関との連携など非常に幅広い業務を担う。

いわば、自衛隊の入口・出口・窓口を務める組織である。

そしてそのトップである本部長は自衛隊と民間を結ぶ地域の顔であり、本部長のイメージが自衛隊のイメージそのものとなることも珍しくない。

そのため、自衛官にしてはおそらく唯一と言ってよいだろう。

「営業」の仕事もこなす必要があり、なおかつ自衛隊の組織や任務にも幅広い知見を持ち合わせ、さらに人格的にも優れた自衛官でなければ務まらないポストだ。

そんな要職に2019年3月、三笠が着任した。

これほどの要職に着任する三笠のことだ。

そのキャリアはいずれも特筆するものばかりだが、あえて一つ挙げるとすれば、それは平成22年6月から務めた、インド防衛駐在官のポストだろうか。

防衛駐在官は原則として3年間、外務省に出向し現地の日本大使館に詰めて、「武官」にしか務まらない「軍人外交」を期待され赴任する。

やはり武人同士は、武人同士でしか心を許せない領域というものが存在する。

どれほど親しくなっても、軍人相手の情報収集には文民である外務省職員では限界があり、そのため自衛官が外務省に出向し外交官としての役割を担う。

そして現地のカウンターパートと仲を深め、相互理解を進め、安全保障環境をより発展させて政治家に引き継ぎ、世界の平和に貢献する。

いわば、世界平和の究極の縁の下の力持ちと言ってよいだろう。

三笠はそのような要職で、なおかつ近い将来に世界の大国になることが間違いのないインドに置いて、その重責を担った。

また、世界の安全保障に興味がある、当サイトをお読み頂いている読者の方には既におわかりだと思うが、インドという国の、特別な存在感についてだ。

近年、我が国とインドは経済だけでなく、軍事分野でも急速に接近を深めており、その関係は準同盟関係と言ってもいいほどに親密化している。

その傾向は2000年代に入ってから顕著であり、日印グローバルパートナーシップの締結、包括的経済連携協定締結、さらに日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言を出すなど、両国関係は今もますます緊密化を深めている最中だ。

そして三笠がインドに赴任した2010年(平成22年)といえば、まさに包括的経済連携協定締結を結んだ年であり、日印関係が加速度的に親密化し始めた時期である。

2014年には、日印の外務・防衛大臣が定期的に会談を行う、いわゆる2+2の定期的な開催が決定され、以降陸海の共同軍事演習が開催されるなど、日印の蜜月は深化するばかりだ。

三笠はこのような時期に当たる2010年-2013年に、インドに赴き「軍人外交」を行っていたことになる。

もちろん、本人はこのようなことに、多くのことを語ることはないだろう。

自分が関わった任務や成果についても機密を堅持し、墓場まで持っていくはずだ。

しかし、この時期にインドに在って、軍人外交に携わっていたということは、どういうことか。

おそらく読者の皆様にも、十分に理解をして頂けるのではないだろうか。

自衛官の外交分野での活躍というものは本当に目立たないが、三笠の成し遂げた実績とは、これほど大きなものであった。

そして日印の強固な軍事同盟は、今やアジアの平和に不可欠な条件だ。

誰もそんなことは知らないであろうから、ぜひこの事を特筆したかった。

こんなところでも、自衛官は日本と世界の平和のために大いに貢献し、そして実績を残している。

ぜひ、一人でも多くの国民にこの事実を知って欲しいと願っている。

では、そんな活躍を積み上げてきた三笠とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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