岸良知樹(きしら・ともき)|第38期・陸上自衛隊

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岸良知樹(きしら・ともき)は昭和47年1月21日生まれ、鹿児島県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第38期の卒業(応化)で幹候75期、出身職種は野戦特科だ。

学生時代は、フィールドホッケー部で活躍した。

 

令和元年8月(2019年8月) 東京地方協力本部長・陸将補

前職は陸上幕僚監部人事教育部補任課長であった。

なお、東京地方協力本部長としての指導方針は判明しないが、第4特科群長兼ねて上富良野駐屯地司令であった時の指導方針は以下の通りであった。

 

【統率方針】

「任務完遂」

【要望事項】

「目標の飽くなき追求」

(画像提供:陸上自衛隊第1特科団公式Webサイト

2019年11月現在、東京地方協力本部長を務める岸良だ。

地方協力本部とは、自衛官の採用や退職自衛官の就職援護、自衛隊の知見を広く民間に提供する窓口、災害時における自衛隊と民間の橋渡しなど、非常に多くの業務を担う組織である。

時に「自衛官の入口と出口」とも評され、高校・大学への自衛官採用活動への協力要請、あるいは退職自衛官の再就職口の確保のための企業説明会の開催など、自衛官の仕事としては恐らく唯一と言っても良い「民間への営業力」も求められる。

そのため、そのトップである本部長には、自衛隊の業務に対する深い見識と知見はもちろん、人間的魅力や高いコミュニケーション能力が求められる非常に誇りあるポストだ。

またそのせいか、岸良のように非常なイケメンが多いのも、地方協力本部長、とりわけ東京地方協力本部長には多いのが特徴となっている。

やはりコワモテの本部長よりも、イケメンの本部長の方が仕事がしやすいポジションなのかも知れない。

(なお、高田克樹(第29期)・第34代東京地本長のような、とんでもないコワモテという例外も中にはいる・・・)

 

その中でも、東京地方協力本部長は、大阪・沖縄と並び、全国で3つしかない、将官が本部長を務める数少ないポジションとなっている。

そして東京地方協力本部長は、歴代の経験者をみてもその多くが陸将に昇った、いわば出世の登竜門とも言えるポストである。

岸良も、第38期組1選抜(1番乗り)での陸将補昇任であり、おそらく近い将来、陸将にまで昇り、さらに重い責任を担っていくことになるのは間違いないのではないだろうか。

 

そしてこれほどの要職に昇る岸良のことだ。

そのキャリアはいずれも印象深いポストばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、やはりそれは、我が国の”野戦特科の聖地”の一つとも言える、第4特科群長兼ねて上富良野駐屯地司令を務めたことだろうか。

ご存知のように野戦特科は、FH-70や99HSPといった敵を面制圧する事を目的とした大口径の榴弾砲、それに我が国に近接しようと企図する敵の艦船などを直接照準で攻撃する地対艦ミサイル誘導弾などを運用する兵科である。

しかしその兵科の性質上、我が国の演習場で本格的な実弾演習ができるところは、北海道に限られている。

射程が長大であるからに他ならないが、しかしその北海道でも、十分な演習ができるわけではなく、一部はアメリカの演習場を借りて実施しているのが実情だ。

そんな事情に加え2019年現在、我が国の兵力が西方有事を想定した編成に大幅にシフトされつつあることからも、今や北海道以外の部隊からは、まとまった野戦特科部隊はすっかりと絶滅危惧種になってしまった。

近い将来、この職種は北方を除き方面隊直轄に一本化されるのは不可避であり、なおかつその装備も、ますます縮小が避けられない状況となるだろう。

地対艦ミサイル部隊を除き、大口径の榴弾砲を主力とした部隊の多くが、迫撃砲を主力とした部隊に置き換えられ、即応機動連隊の隷下部隊の一つとなるのではないだろうか。

 

しかしながら、これはある意味で「いつか来た道」だ。

2000年代初頭を、野戦特科の幹部曹士として過ごした自衛官の方であれば恐らくまだまだ記憶に新しいと思うが、今でこそ花形兵科の一つである地対艦ミサイル部隊は小泉政権下で、かつて大幅な縮小方針に苦しめられた。

そして実際に、中期防衛計画2005において、当時6つ存在した地対艦ミサイル連隊を半減させることが決定され、実際に宇都宮に所在していた第6地対艦ミサイル連隊は廃止をされている。

しかしその後、この兵科の西方における価値が見直され、陸自の中で数少ない、部隊の増員と装備の更新に予算がついている戦力となっていることはご存知のとおりだ。

ありていに言ってこれは、小泉政権と、当時の防衛予算担当であった財務省の担当官僚(現在の自民党の有力オバちゃん議員)の失政であると、もっと非難されるべきだろう。

部隊の縮小によって失われた練度の高い隊員は、いくら装備を更新したからと言ってそう簡単に取り戻せるものではなく、そして増強ができるものではない。

しかし、そのようなことを批判的に論じるメディアというものを、これまでにほぼ、聞いたことがないのは残念なことだ。

 

そして今の、榴弾砲部隊の縮小方針に関しても、行き過ぎた部隊縮小は将来に必ず大きな禍根を残す。

もちろん、我が国が今、西方で直面する危機の中で、「榴弾砲」という装備はプライオリティは高いとは言えないかも知れない。

しかしながら、野戦特科部隊には一般に余り理解されていない、情報収集部隊としての非常に大きな機能がある。

どういうことか。

一般に野戦特科部隊は、陸上戦闘において最初に交戦が開始される部隊である。

そのため敵の射撃や弾砲の種類、射撃位置、作戦企図までをも分析する、陸上戦闘における最も重要な「情報職人部隊」として機能する側面がある。

 

そしてもし実際に西方有事が発生した際には、我が国はその戦闘初期において、率直に言って島嶼部への敵性勢力の上陸を阻止することができないだろう。

その防衛戦のただ中にあっては、活躍するのはまさに野戦特科部隊であり、そしてその企図を正しく理解し、反撃の目となり耳となるのは、野戦特科部隊を置いて他にはない。

岸良が指揮を執ってきた野戦特科とは、このように非常に重要な兵科であり、決して安易に予算・規模を縮小して良い存在ではない。

また岸良が連隊長(相当職)を務めた第4特科群は、敵を面制圧する大口径の203mm自走榴弾砲のみならず、我が国に近接する艦船などを直接迎撃する、MLRS(多連装ロケットシステム)も隷下に置く。

このような、今まさに我が国が直面するいろいろな危機の中で、このような補職を経験した岸良が1選抜で陸将補に昇った意義は極めて大きい。

ぜひ、さらなる活躍に注目したい最高幹部の一人である。

 

では、そんな岸良とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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2件のコメント

既に退官しましたが、宇都宮に第6地対艦ミサイル連隊が編成される準備隊の頃に幹候として着隊したものです。戦力化に5年かかると言われながら、ようやく築きあげたものが10年ほどで部隊廃止になったのは、非常に残念なことでした。
海なし県に地対艦ミサイルがあるというのは、当時から機動性や補給に難ありと捉えられていたので、一旦部隊廃止ののち、実質的に現在南西諸島に配置が進んだのは結果として良かったと思考えております。
(もっとも宇都宮に発足した背景は、当時師団の旅団化が進み、12特科連隊が特科隊にコンパクト化することで特科隊員の受け皿が必要だったことにあるらしいですが。)

重戦力部隊だった野戦特科、機甲科の隊員は縮小し、情報職種に職種変更するパターンが多かったのですが、結果非常に多くの者が退官しています。

岸良さんは非常に温厚な方でした。

HIさま、コメント頂きましてありがとうございました!
そのような背景もあったのですね。
小泉政権下で、物知らずの某財務官僚女史(当時)に潰されたという恨みがありますが(笑)、合理的な一面も非合理的な一面もあったのかと納得できる思いです。
ありがとうございました!

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