高島辰彦(たかしま・たつひこ)は昭和35年8月生まれ、兵庫県出身の海上自衛官。
京都大学卒業後、昭和59年3月に海上自衛隊に入隊しているので第28期相当の幹候35期ということになる。
出身は潜水艦だ。
平成29年12月(2017年12月) 潜水艦隊司令官・海将
前職は統合幕僚監部総務部長であった。
(画像提供:海上自衛隊自衛艦隊司令部公式Webサイト)
(画像提供:海上自衛隊幹部学校公式Webサイト)
2019年1月現在、我が国の国防の要・潜水艦隊司令官のポストにある高島だ。
21世紀の戦略兵器にして最強の抑止力といってもよい、世界に誇る海上自衛隊の最精鋭部隊を率いる。
京都大学を卒業し自衛隊に入隊した英才で、潜水艦畑を歩んできた最高幹部だ。
その高島について。
いきなりの余談で恐縮だが、「高島辰彦」という名前を見て「・・・あれ?」と思った人は、相当な映画好きか、相当な日本軍ヲタクのはずだ。
実は全く同じ漢字を書く、同姓同名の英傑が、日本陸軍でも活躍していた。
その人の名は、高島辰彦・陸軍少将(当たり前か)。
高島少将の活躍が目立ったのは、我が国の敗戦前日から当日にかけて発生した、日本近代史上の汚点とも言うべき軍事クーデターの時であった。
そのクーデターとは、1945年8月14日に発生した宮城事件。
降伏に反対する陸軍の一部幹部が部隊を率いて、恐らく史上初めて宮城(きゅうじょう)にまで押し入り、政権奪取を企てた事件だ。
この辺りの騒乱は邦画の名作、「日本のいちばん長い日」でも扱われているので知っている人も多いと思うが、実はあの映画にも、高島少将は実名で登場している。
そして一部部隊の反乱の報に接すると、直ちに隷下部隊を率いて宮城に駆けつけ、鎮圧側の指揮官として活躍。
宮城を護り、クーデターを鎮圧することに成功した、非常に功績のある将官であった。
なお高島少将は、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校の3つ全てを首席で卒業した、陸軍史上屈指の秀才であった。
日本が戦争に敗れていなければ、おそらく陸軍参謀総長まで昇ったことは間違い無かったのではないだろうか。
時代は下り2019年。
同じ名を持つ高島辰彦・潜水艦隊司令官も京大を卒業し、同様に各種課程で優秀な成績を修め続けて、ついに海将にまで昇りつめた。
そして日本の防衛の要にして、通常動力型では世界最強と言っても良い潜水艦隊を率いて、日本の平和を護る陣頭指揮を取っている。
なお管理人(私)は、占いのたぐいと言ったものは一切信じないが、人の名前にはどこか、その人の運命を一つの方向に導く力があるのかも知れない。
そして21世紀の高島辰彦は、20世紀の高島辰彦と同じように「職業軍人」の道を選び、日本国自衛隊の誇り高い最高幹部として世界平和に貢献し続けている。
では、そんな高島とはこれまでどのようなキャリアを歩み、海将にまで昇ることができたのだろうか。
少し詳細に、その経歴をみていきたい。
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