坂本貴宏(さかもと・たかひろ)は昭和45年生まれの陸上自衛官。
防衛大学校第37期の卒業で幹候74期、職種は航空科だ。
平成30年8月(2018年8月) 第15ヘリコプター隊長・1等陸佐
前職は第1ヘリコプター団高級幕僚であった。
(画像提供:陸上自衛隊第15旅団公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊明野駐屯地公式Webサイト)
2019年9月現在、第15ヘリコプター隊長を務める坂本だ。
第15ヘリコプター隊は第15旅団隷下、沖縄の那覇に所在し、旅団の空中機動能力を支える要の役割を果たす。
沖縄の防衛を担当するため、その警備担当地域には離島が多く、同隊の能力は旅団の機動力そのものと言っても良いほどの極めて重要な部隊となる。
その隊長職を任されることになった坂本だが、もちろんその職種は航空科だ。
航空科の幹部として各地で指揮を執って来たが、中でも印象深いのはやはり、第102飛行隊長のポストだろうか。
102飛行隊は陸自の空の精鋭・第1ヘリコプター団隷下にあり、第1空挺団や特殊作戦群とともに行動する、我が国の空の尖兵となる。
その技量や士気は極めて高く、兵力の集中と機動力の向上を運用方針とする現代の陸自において、欠かすことのできない戦力である。
2015年には、茨城県の鬼怒川が越水・氾濫し多くの家屋が水に流された災害は記憶に新しいと思うが、あの際に低空から多くの要救助者を次々にヘリに回収したのも、102飛行隊であった。
家に取り残された者、電柱や木にしがみつき救助を待つものなどを確認し、適切な優先順位をつけて全ての人を救い出したプロの仕事に、思わず鳥肌がたった人も多かったのではないだろうか。
それもそのはずで、102飛行隊は普段から特殊作戦群などとともに、リペリング降下訓練を繰り返すなど、高い技量を持つパイロットばかりだ。
低空で静止し、作戦行動を支援するに関しては、陸自で随一の技量を持つ凄腕集団である。
過去に目を向ければ、記憶に新しい東日本大震災。
あの際に、津波で孤立した病院の屋上から妊婦を搬送するため、病院の屋上数センチの高度で静止し、急患を運び出した感動的な陸自の仕事を覚えている人も多いかも知れない。
あの際のヘリは陸自塗装のUH-60JAだったが、あのような狭小地・低空での微動だにしない技量を持つ部隊はそう多くはない。
さすがに、あの仕事がピンポイントで102飛行隊であったのかは特定できないが、当時、102飛行隊の隊長を務めていたのが坂本であった。
個別の仕事はともかくとして、102飛行隊長として被災地上空を飛び、同様に非常に困難な任務にあたり、多くの人命を救助し縦横無尽の活躍を見せた。
このような、極めて難しい災害救助にあたり武勲を上げ続けてきた第102飛行隊で、隊長を務めた幹部である。
誇りある精鋭集団を率いることができるのもまた、誇り高い最高の幹部であり、坂本こそそのような指揮官であったということだ。
坂本のキャリアの中で、ぜひ特筆し知ってほしいポストである。
では、そのような仕事を任されてきた坂本とはどのよなキャリアを歩んできた幹部なのか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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