腰塚浩貴(こしづか・こうき)は昭和40年11月22日生まれ、長崎県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第32期の卒業で幹候69期、出身職種は施設科だ。
平成29年8月(2017年8月) 陸上自衛隊施設学校長兼ねて勝田駐屯地司令・陸将補
前職は第2施設団長であった。
(画像提供:防衛省統合幕僚監部公式フェイスブック)
(画像提供:陸上自衛隊施設学校公式Webサイト)
2018年12月現在、陸上自衛隊施設学校長兼ねて勝田駐屯地司令を務める腰塚だ。
一般に、陸自の施設科にある幹部曹士の教育訓練を主任務とすることで知られる学校だが、PKO活動でカンボジアなどに足を運び、施設の建築・構築技術の普及指導活動を行うなどの側面も持つ。
日本らしい、「人を育てる」分野で国際貢献を果たす、我が国の国益にとって無くてはならない学校を率いている。
言うまでもなく、施設科にある幹部にとって一つの到達点とも言えるポストであり、職種部隊の指揮官として、もっとも栄誉ある任務の一つと言ってもよいだろう。
そのような要職を任される腰塚のことだ。
そのキャリアは非常に充実しており、いずれも特筆するものばかりだが、あえて一つ挙げるとすれば、それは平成12年1月から赴任していた中東での、UNDOF司令部勤務だろうか。
UNDOFとは、国際連合兵力引き離し監視軍と訳される国連平和維持活動の一つで、主にイスラエルとシリアの兵力の間に割って入り、停戦を担保するための役割を担った。
そして日本は憲法の制約上、直接戦闘に関わる可能性のある行為を行うことができないので、その後方支援部隊として参加をしていたということになる。
具体的には、ゴラン高原派遣輸送隊を中心に活動を展開していたが、
・各宿営地や港湾・空港間における輸送業務
・輸送に必要となる道路など各種インフラの整備及び補修
・山岳地帯における除雪作業
・その他、UNDOF(国連兵力引き離し監視隊)の活動に必要な後方支援業務
といったところだが、もちろん一般に想像される平時での輸送及び土木工事と言った生ぬるいものではない。
そもそもが、イスラエルと中東諸国が、国連軍が間に入らないと戦争を始めるような地域のど真ん中である。
その任務は非常な危険が伴うだけでなく、山岳地帯では2800m級の道路で除雪作業を行うなど、非常な困難を極めた。
治安だけでなく、自然環境にも命の危険を晒す非常に厳しい任務に、私達の自衛隊は赴いていたわけだが、この国際貢献活動は、本当にもっと特筆されるべきもののはずだ。
実際に、平成25年にこの任務が打ち切られ、撤収が決まった際の理由は、治安の悪化による。
腰塚はこのような、我が国の国際貢献らしい活動に施設科の幹部として、これら輸送隊の調整を含む司令部での勤務を経験した。
また直近では、施設学校長として2018年12月、国連PKO工兵部隊マニュアルの改訂作業を東京で主導し、各国関係者と共に新たな世界秩序の構築に貢献している。
施設科にある最高幹部として、日本らしい活躍を多く主導してきた、我が国を代表する施設科の将官と言ってよいだろう。
では、それほど重要な役割をこなしてきた腰塚とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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