腰塚浩貴(陸上自衛隊施設学校長・陸将補)|第32期・陸上自衛隊

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その腰塚が陸上自衛隊に入隊したのは昭和63年3月。

1等陸佐に昇ったのが19年1月だったので、32期1選抜(1番乗り)となるスピード出世であった。

原隊(初任地)は大村に所在する第4施設大隊であり、同地で施設科の幹部として、厳しい自衛官生活のスタートを切っている。

(画像提供:陸上自衛隊施設学校公式Webサイト

その後職種部隊にあっては、多くの幹部自衛官が印象深い補職として話してくれる中隊長ポストを、座間に所在する第303施設中隊で経験。

大隊長は川内の第8施設大隊長で、施設群長は高田の第5施設群長でそれぞれ上番している。

その間、中央(陸上幕僚監部)では防衛課、教育訓練部教育訓練計画課などを経て事部人事計画課の制度班長に着任。

幅広い領域で活躍を見せ、そして平成27年8月に陸将補に昇ると第2施設団長兼船岡駐屯地司令に補され、その後職として29年8月、陸上自衛隊施設学校長兼ねて勝田駐屯地司令に着任している。

先述のように、UNDOF司令部などでの国際貢献と併せ、現場経験も豊富な非常に頼もしい施設科出身の将官と言ってよいだろう。

 

なおこの間、腰塚はあの東日本大震災を第5施設群長の時に経験している。

そして発災に際しては、隷下部隊を率いて直ちに相馬市や南相馬市を中心とした最も被害の大きかったエリアの一つに入り、生存者やご遺体の捜索に携わった。

なお同地域は原発から20km圏内にあり、常に線量計をチェックしながらの非常に厳しい任務が求められた。

そのような中、腰塚と隷下部隊は多くの被災者を救出した一方で、192を数えるご遺体も発見し、ご家族の元にお届けしている。

 

あるいはこのような厳しい任務をこなしたことも影響したのだろうか。

腰塚が駐屯地司令を務めていた高田駐屯地に所在していた当時の第2普通科連隊の連隊長は、震災から駐屯地に帰還すると、その3ヶ月後に自ら命を絶っている。

詳細はもちろん発表されていないが、あるいは震災での活動がその死生観に影響を与えることになったのであれば、非常に残念なことだ。

東日本震災の自衛隊の活躍の裏では、このようなことが起きていたことも、あるいは私達国民は知っておく必要があるのかも知れない。

 

では最後に、その腰塚と同期である32期組の人事の動向について見てみたい。

32期組は、2019年夏の将官人事で最初の陸将が選抜される年次であり、2018年12月現在では、陸将補が同期の出世頭ということになる。

そしてその陸将補にある幹部たちは、以下の通りだ。

 

梶原直樹(第32期)・統合幕僚監部防衛計画部長(2013年8月)

大塚裕治(第32期)・陸上幕僚監部装備計画部長(2013年8月)

森下泰臣(第32期)・陸上幕僚監部防衛部長(2013年8月)

堀井泰蔵(第32期相当)・第5旅団長(2013年8月)

中村裕亮(第32期)・教育訓練研究本部副本部長兼ねて総合企画部長(2014年3月)

田尻祐介(第32期)・第12旅団長(2014年8月)

鬼頭健司(第32期相当)・陸上自衛隊幹部候補生学校長(2014年12月)

木口雄司(第32期)・高射学校長兼ねて下志津駐屯地司令(2015年8月)

腰塚浩貴(第32期)・施設学校長(2015年8月)

青木伸一(第32期)・水陸機動団長兼ねて相浦駐屯地司令(2015年12月)

池田頼昭(第32期)・第10師団副師団長兼守山駐屯地司令(2016年3月)

檀上正樹(第32期)・警務隊長(2017年3月)

小谷琢磨(第32期)・第4施設団長(2017年8月)

斎藤兼一(第32期相当)・第7師団副師団長兼ねて東千歳駐屯地司令(2017年12月)

叶謙二(第32期)・開発実験団長(2018年3月)

佐々木俊哉(第32期)・自衛隊情報保全隊司令(2018年3月)

岩名誠一(第32期)・東北方面総監部幕僚副長(2018年8月)

※肩書はいずれも2018年12月現在。( )内は陸将補昇任時期。

※2018年8月以降の将官人事で昇任した将補の期別は未確認のため、追記する可能性あり。

 

以上のようになっており、まずは梶原、大塚、森下、堀井の4名が1選抜で昇任し、同期の最高幹部人事の中心になっている状況だ。

2019年の陸将人事も、おそらくこの4名を中心に選抜が進められるのではないだろうか。

 

腰塚については、現職への着任が2017年8月であったことを考えると、2019年度中に次のポストに異動することになるのは確実だろう。

おそらくいずれかの方面隊で幕僚長に着任するか、あるいは補給処長としてさらに活躍の場を広げ、日本と世界の平和のために更に尽力を続けてくれるのではないだろうか。

いずれにせよ、2020年代前半にかけて、我が国の安全保障政策の中心で力を発揮することは間違いのない腰塚である。

その活躍には今後も注目し、そして応援していきたい。

 

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

(画像提供:陸上自衛隊施設学校公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊施設学校公式Webサイト)

◆腰塚浩貴(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
63年3月 陸上自衛隊入隊(第32期)

平成
元年3月 第4施設大隊(大村)
4年3月 檜町駐屯地業務隊付(檜町)
5年3月 第3施設群(座間)
7年3月 第303施設中隊長(座間)
8年8月 幹部学校指揮幕僚課程学生(目黒)
10年8月 陸幕防衛部運用課(市ヶ谷)
11年1月 3等陸佐
12年1月 UNDOF司令部(ゴラン高原)
13年3月 陸幕防衛部防衛課(市ヶ谷)
14年7月 2等陸佐
17年3月 陸幕教育訓練部教育訓練計画課(市ヶ谷)
18年8月 第8施設大隊長兼川内駐屯地司令(川内)
19年1月 1等陸佐
19年8月 幹部学校幹部高級課程学生(目黒)
20年3月 統合幕僚学校(目黒)
20年8月 陸上幕僚監部人事部人事計画課制度班長(市ヶ谷)
22年12月 第5施設群長兼高田駐屯地司令(高田)
24年8月 幹部学校主任教官(目黒)
25年8月 西部方面総監部人事部長(健軍)
27年8月 第2施設団長兼船岡駐屯地司令(船岡) 陸将補
29年8月 陸上自衛隊施設学校長兼ねて勝田駐屯地司令(勝田)

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