その佐々木が陸上自衛隊に入隊したのは昭和63年3月。
1等陸佐に昇ったのが平成18年6月であったので、これは32期組の1選抜前期(1番出世)よりも半年も早い、超スピード出世であった。
これは、佐々木が余りにも規格外に優秀であったため、時の総理大臣からの要請による特例昇任であった・・・というのはもちろん嘘である。
軍事組織には、そんなハリウッド映画のような話はない。
防衛駐在官としてロシアに赴任する前の、防衛駐在官を巡る昇任ルールによるものであった。
(画像提供:陸上自衛隊東北方面隊公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊東北方面隊公式Webサイト)
1佐以降の経歴で見ると、最初のポストがその在ロシア防衛駐在官である。
防衛駐在官とは、念の為におさらいすると相手国に所在する日本大使館に勤務し、当該国の軍人たちと軍事交流を行う武官のことだ。
もちろんそれは、仲良くして人脈を作るという目的も無いわけではないが、日本との関係によってはむしろ、我が国の驚異となる軍事動向の情報収集にその役割の多くが期待される。
特にロシアの場合、我が国にとって最大にしてもっともリスキーな隣国だ。
日本陸軍大将・明石元二郎がロシア防衛駐在官として、あるいはその後も在欧のスパイとして大活躍し、日露戦争における我が国の勝利に貢献した例を出すまでもないだろう。
ロシアに赴く防衛駐在官としての任務は、我が国の平和と安全に直結する、極めて重要な任務だ。
このポストを任された事をもってしても、佐々木がどれほどに、情報科の幹部として極めて優れた人物であるのか。
そのお人柄を垣間見ることができるのではないだろうか。
また帰国後は、短い間、研究本部の研究員として過ごすが、翌年にはすぐに青森県の弘前に所在する第39普通科連隊長に上番。
弘前の精鋭部隊といえば、日露戦争において鬼神の活躍をしたことでも知られる、我が国の誇りとも言うべき存在だ。
その39普連長に、ロシアから戻ってすぐに佐々木が上番したということにも、何か深い意味合いを感じることができる。
また佐々木はこの連隊長に在る時に、第3次ハイチ派遣国際緊急救援隊長として、再び海外に赴任。
この任務は、中米ハイチで発生した大地震による国連の救援活動の一環として行われたもので、佐々木は現地で孤児院や学校などの再建に、陣頭に立ち力を尽くした。
なお上記の2枚を含め、今回佐々木のご紹介で使用している画像はすべて、そのハイチでの活動中に撮影されたものである。
さらにハイチから戻ると今度は、佐々木は我が国の精鋭部隊の頭脳・中央即応集団(現在の陸上総隊司令部)に異動となり、防衛部長と、さらに幕僚副長を経験。
政経中枢師団である第3師団でも幕僚長を務めるなど、我が国の中枢とも言えるポストで要職を歴任し続けた。
そして平成27年12月、情報本部で計画部長を務めた後職として、平成30年3月に陸将補に昇任。
自衛隊情報保全隊司令に補され、我が国の国防の要とも言える防諜に責任を持ち、心身ともに極めて過酷な任務に力を尽くしている。
陸上自衛隊のみならず、我が国を代表する情報幹部であり、最高幹部の一人であると言ってよいだろう。
では最後に、その佐々木と同期である32期組の人事の動向について見てみたい。
32期組は、2019年夏の将官人事で最初の陸将が選抜される年次であり、2019年3月現在では、1選抜の幹部でも陸将補ということになる。
そしてその陸将補にある幹部たちは、以下の通りだ。
梶原直樹(第32期)・統合幕僚監部防衛計画部長(2013年8月)
大塚裕治(第32期)・陸上幕僚監部装備計画部長(2013年8月)
森下泰臣(第32期)・陸上幕僚監部防衛部長(2013年8月)
堀井泰蔵(第32期相当)・第5旅団長(2013年8月)
中村裕亮(第32期)・教育訓練研究本部副本部長兼ねて総合企画部長(2014年3月)
田尻祐介(第32期)・第12旅団長(2014年8月)
鬼頭健司(第32期相当)・陸上自衛隊幹部候補生学校長(2014年12月)
木口雄司(第32期)・高射学校長兼ねて下志津駐屯地司令(2015年8月)
腰塚浩貴(第32期)・施設学校長(2015年8月)
青木伸一(第32期)・水陸機動団長兼ねて相浦駐屯地司令(2015年12月)
池田頼昭(第32期)・第10師団副師団長兼守山駐屯地司令(2016年3月)
檀上正樹(第32期)・警務隊長(2017年3月)
小谷琢磨(第32期)・第4施設団長(2017年8月)
斎藤兼一(第32期相当)・第7師団副師団長兼ねて東千歳駐屯地司令(2017年12月)
叶謙二(第32期)・開発実験団長(2018年3月)
佐々木俊哉(第32期)・自衛隊情報保全隊司令(2018年3月)
岩名誠一(第32期)・東北方面総監部幕僚副長(2018年8月)
※肩書はいずれも2019年3月現在。( )内は陸将補昇任時期。
※2018年8月以降の将官人事で昇任した将補の期別は未確認のため、追記する可能性あり。
以上のようになっており、まずは梶原、大塚、森下、堀井の4名が1選抜で陸将補に昇任し、同期の最高幹部人事の中心になっている状況だ。
2019年夏の陸将人事も、おそらくこの4名を中心に選抜が進められるのではないだろうか。
佐々木については、これだけ充実したキャリアを誇る幹部の一人である。
ただ、陸上幕僚長に昇るルートに在る陸将補ではなく、職人的に特定の領域で、非常な強みを発揮し国防に貢献する存在だ。
そのため今後も、情報系の幹部、あるいは国際貢献系の幹部としてさらに要職を歴任するか、あるいは陸上総隊、東部や中部方面隊でより重い職責を担っていくことになるのではないだろうか。
いずれにせよ、その活躍は決して目立つことはないが、我が国の平和と安全にとって不可欠な最高幹部である。
その動向には今後も注目し、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊東北方面隊公式Webサイト)
◆佐々木俊哉(陸上自衛隊) 主要経歴
昭和
63年3月 陸上自衛隊入隊(第32期)
平成
11年1月 3等陸佐
14年7月 2等陸佐
18年6月 在ロシア防衛駐在官 1等陸佐
21年8月 研究本部研究員
22年3月 第39普通科連隊長
22年8月 第3次ハイチ派遣国際緊急救援隊長(~23年2月)
24年3月 中央即応集団防衛部長
25年4月 中央即応集団幕僚副長
26年3月 第3師団幕僚長
27年12月 情報本部計画部長
30年3月 自衛隊情報保全隊司令 陸将補
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