田尻祐介(たじり・ゆうすけ)は昭和40年6月生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第32期(機械)の卒業で幹候69期、出身職種は航空科だ。
平成30年8月(2018年8月) 第12旅団長・陸将補
前職は西部方面総監部幕僚副長であった。
(画像提供:陸上自衛隊第12旅団公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第12旅団公式Webサイト)
2019年10月現在、”空中機動旅団”、第12旅団の指揮を執る田尻だ。
32期のエースであるだけでなく、現在の陸上自衛隊において航空科を代表する最高幹部であり、変革が求められる陸自の中で、空中機動力の発揮で組織に貢献する。
また12旅団は、そのエンブレムの中央に日本列島をおいていることからも明らかなように、有事の際には全国にいち早く展開することが求められる。
第1ヘリコプター団と共に機動力を展開するなど、非常に重い任務を担う、極めて重要な旅団を任されていると言ってよいだろう。
それ程の重責を任される田尻のことだ。
32期のエースということとも併せてその経歴はどれも特筆するものばかりだが、敢えて印象的なポストを挙げるとすれば、それは第1ヘリコプター団の団長だろうか。
ご存知のように、2018年3月の陸自大改革で、CRF(中央即応集団)は陸上総隊へと組織を再編させた。
その過程で第1ヘリコプター団もCRF隷下から陸上総隊の隷下に移り、これまで以上に、第1空挺団、特殊作戦群といった我が国が誇る「特殊部隊」と共により密接に協働し、有事への備えを積み上げている。
いわば第1ヘリコプター団は、これらクレイジーな作戦を求められる部隊と共に機動することが求められる、極めて高度な操縦技術と鋼のメンタル、そしてクールなマインドが求められる空の戦士たちであると言ってよいだろう。
実際に第1ヘリコプター団は、あの東日本大震災の際、爆発直後の福島原発の直上で散水作業を任されるなど、世界に類を見ない任務を成功させてきた部隊でもある。
陸自において操縦桿を握る全てのパイロットにとって、憧れであり、最高峰であり、そしてもっとも誇り高い精鋭集団だ。
そして、そんな組織を任される指揮官もまた、幹部曹士からの尊敬を集める、誇り高い将官にしか務まるものではない。
田尻は陸将補に昇り最初の補職で、航空科の幹部としてもっとも栄誉であるといってよいそのポストを任された。
まさに、空中機動戦闘を担うにふさわしい、非常に頼もしい12旅団長である。
では、そんな要職を歴任した田尻とは、これまで具体的にどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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