その田尻が陸上自衛隊に入隊したのは昭和63年3月。
原隊(初任地)は北海道・帯広に所在する第5飛行隊であり、広大な北海道の大地で、航空科の初級幹部として自衛官生活のスタートを切った。
1等陸佐に昇ったのは平成19年1月であったので、32期組1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。
陸将補には26年8月に昇任し、同様に32期を代表する活躍を見せている。
(画像提供:陸上自衛隊明野駐屯地公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第12旅団公式Webサイト)
そのキャリアを見ると、職種部隊では同じ北海道の丘珠で当時第11師団の隷下であった第11飛行隊長を。
また西部方面隊でも、高遊原で西部方面航空隊長に上番している。
その間、陸上幕僚監部ではイケメンを活かして総務課広報室で総火演のくじを引くレアな役割を担った他、班長ポストは人事教育部人事教育計画課の企画班長で着任。
課長ポストは、統合幕僚監部で防衛計画部計画課長のイスに座り、その重い責任を担った。
そして平成26年8月に陸将補に昇任し、前述のように最初のポストとして第1ヘリコプター団長に着任。
その後、短い期間で航空学校長、西部方面総監部幕僚副長と要職を歴任して、30年8月から第12旅団長に着任した形だ。
航空科の最高幹部として、現場指揮から組織づくりまであらゆる大仕事を全うすることができる、非常に頼もしい最高幹部と言ってよいだろう。
では最後に、その田尻と同期である、32期の人事の動向について見てみたい。
32期組は、2019年夏の将官人事で最初の陸将が選抜されたばかりの年次だ。
そして2019年10月現在では、以下の幹部がその任にあたっている。
森下泰臣(第32期)・第2師団長(2019年8月)
梶原直樹(第32期)・第3師団長(2019年8月)
堀井泰蔵(第32期相当)・第8師団長(2019年8月)
大塚裕治(第32期)・陸上自衛隊関東補給処長兼ねて霞ヶ浦駐屯地司令(2019年8月)
※肩書はいずれも2019年10月現在。( )内は陸将昇任時期。
以上のようになっており、まずは森下、梶原、堀井、大塚の4名が1選抜で昇任し、同期の最高幹部人事の中心になっている状況だ。
今後の32期組の人事も、この4名を中心に最高幹部人事が進んでいくのでは無いだろうか。
田尻については、陸将補に昇任後の4年で駆け足のように、既に4つのポストを経験していることが印象的な幹部だ。
特に第12旅団長への異動は、西部方面総監部幕僚副長のポストを僅か5ヶ月で終えての着任であった。
そして12旅団長は、後職で陸将に昇る運用がなされているポジションであり、おそらく次の異動では陸将に昇った上で、いずれかの師団長を務めることになるだろう。
そしてそれは、おそらく第4師団ではないだろうか。
前回の記事では第8師団の可能性にも言及していたが、夏の異動で同期である堀井が着任したので、その可能性はまず無くなった。
戦力や駐屯地の構成を考えると、恐らく第4師団を任されることになると予想している。
いずれにせよ、32期組は今後、2020年代なかばにかけて、我が国の安全保障政策の中で最も重い責任を担っていくことになる世代である。
その活躍は要注目であり、今後とも変わらずその動向を追い続け、そして応援していきたい。
※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。
(画像提供:陸上自衛隊明野駐屯地公式Webサイト)
◆田尻祐介(陸上自衛隊) 主要経歴
昭和
63年3月 陸上自衛隊入隊(第32期)
平成
1年3月 第5飛行隊(帯広)
7年8月 幹部学校(CGS#41)(目黒)
9年8月 航空学校(明野)
11年1月 3等陸佐
11年3月 檜町業務隊付(産経新聞研修)(檜町)
12年3月 陸幕防衛課(市ヶ谷)
14年7月 2等陸佐
14年8月 第11師団第11飛行隊長(丘珠)
16年3月 陸上幕僚監部防衛課(市ヶ谷)
18年8月 幹部学校付(#1統合短期・防研一般課程)(目黒)
19年1月 1等陸佐
19年8月 陸幕総務課広報室(市ヶ谷)
20年8月 陸上幕僚監部人事教育部人事教育計画課企画班長(市ヶ谷)
22年8月 研究本部研究員(朝霞)
22年12月 西部方面航空隊長(高遊原)
24年7月 統合幕僚監部防衛計画部計画課長(市ヶ谷)
26年8月 第1ヘリコプター団長(木更津) 陸将補
28年12月 航空学校長(明野)
30年3月 西部方面総監部幕僚副長
30年8月 第12旅団長
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