井筒俊司(いづつ・しゅんじ)|第30期・航空自衛隊

井筒俊司は昭和39年3月26日生まれ、千葉県出身の航空自衛官。

防衛大学校第30期(機械工学)の卒業で幹候76期、出身職種は飛行だ。

平成29年8月(2017年8月) 西部航空方面隊司令官・空将

前職は航空幕僚監部人事教育部長であった。

戦闘機パイロット出身であり、近い将来の航空幕僚長候補でもある井筒だが、そのキャリアの始まりは新田原基地に所在する第5航空団。

公式サイトや防衛省発表の一次ソースに記載はないものの、井筒が新田原に配属になった平成元年3月当時、新田原基地に所在していたのは第301飛行隊であり、F-4戦闘機パイロット出身と推測される。

航空自衛隊入隊は昭和61年3月。

1等空佐に昇ったのが平成17年1月で、空将補に昇ったのが23年8月、空将に昇ったのが29年8月だが、その全てが、第30期組の1選抜(1番乗り)であり、超が付くエリートである。

自衛隊人事制度の運用上、これ以上の速さは無い昇任速度で、空将まで駆け上がった。

なお2018年1月現在で、井筒と同じ空将にある30期は以下の通りだ。

金古真一(第30期)・中部航空方面隊司令官(2017年8月)

井筒俊司(第30期)・西部航空方面隊司令官(2017年8月)

上ノ谷寛(第30期)・南西航空方面隊司令官(2017年12月)

※肩書は2018年1月現在。( )は空将昇任時期。

1選抜出世組は井筒と金古だが、この2名に2017年12月、上ノ谷が追いついた形だ。

30期組の空幕長候補はほぼこの3名に絞られたと見て良いだろう。

2021年~2023年頃にかけて、状況によりトップに昇ることが想定される世代である。

さてその井筒が歩んできたキャリアを少し詳しく見てみたい。

米国赴任・留学経験は判明するだけで2回。

1回目は平成7年8月からの米空軍大学指揮幕僚課程であって、2回目は平成11年8月からのハーバード大学への留学だ。

さらに、平成18年7月から補職された航空幕僚監部防衛部防衛課では、イラク人道復興支援活動空輸計画部長も務めており、イラク戦争の実態と真正面から向き合い、自衛隊が海外で行う支援任務の設計図を書いたキャリアも持ち合わせている。

なお井筒は、ハーバード大学留学中にあの9.11同時多発テロを現地で経験している。

非常事態下にあり、極度の緊張状態にあるあの米国の張り詰めた空気が流れていた頃、井筒はハーバード大学に在籍していた。

それだけでも、「軍人」として多くの知見が身につくことになったのは間違いないが、井筒は当時のことを、「在米留学生から見た、米国同時多発テロ」として論文を発表。

またハーバード大学留学当時の論文と思われる

「Proposals for the New National Defense Program Outline starting in FY2006」

日本語に訳すと、「新しい国防計画の概要案2006年度版」といったところだと思われるが、このような論文も発表しており、どちらも国立国会図書館に所蔵されている。

興味があれば、一読して欲しい。

このようなキャリアを経て、第7航空団飛行群司令(百里)や第6航空団司令(小松)を歴任し順調に結果を残してきた井筒だが、ある意味において小松基地司令としての仕事は生涯忘れ得ない経験になったであろう。

この時期、おそらく記憶に新しい人も多いかもしれないが、小松基地所属のF-15戦闘機が訓練飛行中、燃料タンクが脱落し、住宅地に多数の破片と、一部大きな塊が落下する重大事故が発生した。

そのため、戦闘機パイロットにとっては生命線である訓練飛行を、実に70日間もの長きに渡り中止せざるを得ないという非常事態が発生する。

2ヶ月半もの間、飛行訓練が出来ないという事態はF-15戦闘機パイロットにとって、生命の危険にも関わるほどのブランクとなる。

事故の後、小松所属のパイロットは他の基地に交代で出張し、僅かな飛行時間を重ねながら練度の維持を図っていたような報道があったと記憶しているが、いずれにせよ基地始まって以来の非常事態だ。

もちろん、F-15戦闘機の部品が脱落・四散するということも大事故であり、容易に飛行再開の判断がつかない事態であったが、この一連の出来事は井筒が基地司令を担っていた時に発生したものであった。

謝罪会見から住民説明会と、基地司令として様々な任務をこなし連日、原因究明と再発防止に尽力していた井筒であったが、当時のことを振り返り、後日こんなエピソードを話している。

時は問題が解決した後、F-15の飛行訓練が再開され、小松に日常が戻り始めていた時のことだ。

ある町内会長に飛行再開の説明をしていた時、その会長はこのように言って井筒を責めた。

「なぜもっと早く、部品の捜索を手伝ってくれと町に声を掛けてくれなかったのか。言ってくれれば、私たちも役に立てることがあったはずだ。」

井筒はこの言葉に心から勇気づけられ、そして歴代の小松基地司令がどれほど周辺住民との信頼関係を大事にし、そして積み上げてきたかを強く実感したという。

まさに、順調にキャリアを積み上げてきた井筒にとって、あるいは初めて経験するハードなトラブルであったかもしれないが、その経験が逆に、「国民の自衛官」としての自覚をさらに強くし、井筒の自衛官魂に火を付けたことは間違いない。

その証拠と言えばいいであろうか。

井筒が2017年8月、西部航空方面隊司令官に着任し、最初に公式Webサイトに掲載した挨拶文には以下のような言葉がある。

(以下、公式サイトより抜粋)

「私は、西部航空方面隊全隊員の先頭に立ち、精強で健全、そして明るい部隊作りに邁進していきます。

正しいことを行う「勇気」、間違ったことをしない「勇気」、新しいものに挑戦する「勇気」を持って、間隙無く警戒監視任務及び関連する任務を遂行すると共に、精到に各種訓練を実施して部隊の能力の向上を図っていく所存ですので、引き続き皆様のご理解とご協力をよろしくお願いします。 」

(以上、公式サイトより抜粋ここまで)

なんとも武人らしい、無駄のない決意表明だ。

正しいことを行う勇気、間違ったことをしない勇気。

その強い信念が井筒を支える源であり哲学であり、そして第6航空団司令時代の試練を解決する基本姿勢であったのであろう。

だからこそ、町内会長は井筒に理解を示し、小松基地は元の通りの日常を回復した。

巡り合わせというものがあるとすれば、この事故も井筒と住民にとっての共通の試練であって、協力して乗り越えていくべきものであったのかもしれない。

その結果、この将来の航空幕僚長して嘱望されていた男にまた一つ、防人として、最高幹部としての厚みが増すことになった。

もちろん事故自体はあってはならないものではあるが、大事なことは危機に際し、

「正しいことを行う勇気、間違ったことをしない勇気」

であろう。

この男が近い将来、航空幕僚長に昇るようなことがあれば、なんとも楽しみな気がしてきた。

本記事は当初2017年9月3日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年1月23日に整理し、改めて公開した。

◆井筒俊司(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
61年3月 航空自衛隊入隊(第30期)

平成
元年3月 第5航空団(新田原基地)
7年8月 幹部学校付(米空軍大学指揮幕僚課程)
9年1月 3等空佐
9年8月 航空幕僚監部防衛部防衛課防衛班
11年8月 幹部学校付(ハーバード大学)
12年7月 2等空佐
14年8月 航空幕僚監部防衛部防衛課防衛班
17年1月 1等空佐
17年9月 幹部学校付(防衛研究所第53期一般課程)
18年7月 航空幕僚監部防衛部防衛課 兼ねてイラク人道復興支援活動空輸計画部長
18年12月 航空幕僚監部防衛部防衛課防衛班長(東京都)
20年8月 第7航空団飛行群司令(百里)
21年7月 航空幕僚監部人事教育部補任課長(東京都)
23年8月 第6航空団司令兼小松基地司令(小松) 空将補
24年7月 南西航空混成団副司令(沖縄県)
26年8月 防衛監察本部監察官(東京都)
28年7月 航空幕僚監部人事教育部長(東京都)
29年8月 西部航空方面隊司令官(福岡県) 空将

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 西部航空方面隊公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/wadf/commander/index1.html

防衛省航空自衛隊 第6航空団公式Webサイト(着任式写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/komatsu/hakusan/images/hakusan492.pdf

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