中畑康樹(なかはた・やすき)|第30期・統合幕僚監部運用部長

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中畑康樹は昭和38年12月5日生まれ、愛媛県松山市出身の海上自衛官。

防衛大学校第30期、幹候は第37期の卒業だ。

 

平成31年4月(2019年4月) 統合幕僚監部運用部長・海将

前職は海上自衛隊第1術科学校長であった。

(画像提供:海上自衛隊公式Webサイト

(画像提供:在ペルー日本大使館公式Webサイト

2019年4月現在、我が国の陸海空3自衛隊統合運用の実務責任者と言ってよいだろう。

統合幕僚監部で運用部長の要職を務める、中畑海将だ。

愛媛県松山市の出身で、地元の進学校である松山東高校を卒業後に、防衛大学校に進んでいる。

なお松山東高校は、文部大臣や厚生大臣を歴任した安井英二を始めとした多くの政治家を排出し、また映画監督の伊丹十三や、俳人の高浜虚子などをその卒業生に持つなど、文武両道で知られる高校でもある。

中畑自身も、その郷土の文化をしっかりと受け継ぎ、優秀な学業の成績を残したことはもちろん、防衛大学校在学中はボート部でならした細マッチョでもある。

またその地元愛もとても厚く、愛媛が生んだに旧日本軍の偉人、秋山好古・秋山真之兄弟の顕彰行事にも足を運ぶなど、とても親しみやすい将官として活躍している。

 

その中畑が務める統合幕僚監部の運用部長は、文字通り3自衛隊の運用の実務を取り仕切る。

そのため、統合幕僚副長を除くと唯一、将ポストになっている重職だ。

防衛計画部長や指揮通信システム部長、総務部長といった要職中の要職でも将補職であることを考えると、どれほどこの統合幕僚監部の運用部長というポストが特別に重いものであるのか、おわかり頂けるのではないだろうか。

 

そして、これだけの重責を任される中畑のことだ。

そのキャリアはどれも特筆することばかりだが、ここではそのうちの一つ、第4護衛隊司令として洋上で指揮を執っていた時の活躍をご紹介していきたい。

 

中畑は第4護衛隊司令に在った21年10月から、第3次ソマリア沖派遣海賊対処水上部隊司令官として、アフリカの東部・ソマリアに赴任している。

ご存知のようにこの任務は、アフリカの東、ソマリア沖アデン湾において海賊行為を繰り返し、我が国を含む各国のシーレーンに脅威を与えている海賊を取り締まろうとするものだ。

アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、オーストラリアなどと共に活動を行っているが、対処する相手は「海賊」という言葉が持つどこか牧歌的な響きとは無縁のものであり、AK-47やRPG-7などで武装するヤバイ奴らである。

実際に我が国の商船でも、日本郵船の原油タンカーがロケットランチャーによる攻撃を受け被弾し、また多くの船員が人質に取られ数億円の身代金を払うなど、実害も多く発生した。

そのような状況で中畑は、第3次の指揮官として2009年10月から2010年3月まで約半年間、「たかなみ」「はまぎり」を率い同地で指揮を執り、任務を果たしている。

なおこの時は、ソマリアの海賊がもっとも活発に活動していた時期であり、前年には我が国の商船が海賊により制圧され、20名余りの人質を取られる事件まで発生していた直後のことであった。

文字通り「実戦」とも言える海域に指揮官として赴任したわけだが、中畑はこの期間中、我が国を始めとした諸外国の民間船に一切の被害を出すこと無く任務を完遂。

帰国の際の入港行事では、集まった防衛政務官などの激励に対し

「海賊には指1本触れさせることなく任務を完遂でき、世界の期待に応えられたことを誇りに思う」と、答礼。

部下やその家族とともに、無事帰国できたことを喜ぶ一幕もあった。

 

では、そんな要職を歴任してきた中畑とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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