金丸章彦(かなまる・あきひこ)は昭和35年12月生まれ、大阪府出身の陸上自衛官。
防衛大学校第27期の卒業で幹候64期、出身職種は航空科だ。
平成30年8月(2018年8月) 陸上自衛隊補給統制本部長兼ねて十条駐屯地司令・陸将のポストを最後に勇退することが決まった。
前職は陸上自衛隊関東補給処長兼霞ヶ浦駐屯地司令であった。
なお、陸上自衛隊補給統制本部長兼十条駐屯地司令としての指導方針は以下の通りであった。
【統率方針】
運用に応える
【要望事項】
知恵 勇気 信頼
(画像提供:陸上自衛隊関東補給処公式Webサイト)
【以下、2018年7月31日加筆】
2018年8月1日、日本の平和と安全に貢献をし続けてきた陸将がまた一人、自衛隊を去ることになった。
陸上自衛隊補給統制本部長兼ねて十条駐屯地司令の金丸章彦だ。
率直に言って27期の将官は、2017年夏の将官人事で退役になっていてもおかしくない状況であった。
第35代陸上幕僚長であった岡部俊哉(第25期)が、いわゆる南スーダン日報問題とされる問題の詰め腹を切らされ、同期である山崎幸二(第27期)が、第36代陸幕長に着任したからだ。
しかし金丸は、それから1年間もの間、現職の要職にあり続けた。
なぜか。
それは、2018年3月に控えていた、陸上自衛隊の歴史的大改革に、どうしても金丸の力が必要であったからだ。
金丸の、補給統制本部長としての統率方針は「運用に応える」であった。
まさにこれが物語るように、陸上自衛隊は2018年3月を持って、戦力の集中と機動力の向上を志向した、全く新しい防衛体制に移行した。
詳細は別コラムに譲るが、この新体制の要諦は厳しい予算削減の中でも、各地に所在する精鋭部隊を任意の戦場に、迅速に投入することをその柱とする。
当然、その中核となるものは輸送と補給の能力だ。
この2つ無くして、2018年現在の安全保障体制を語ることはできない。
金丸はこの大仕事を最後までやり遂げよと要請され、同期の陸幕長着任にも関わらず現職に1年間あり続け、そして大改革をやり遂げた。
そしてその新体制を見届ける事ができたために、2018年8月、やっと制服を置くことができるようになったということだ。
35年もの長きに渡る自衛官生活の最後に、この大仕事をやり終えて自衛隊を去ることになったわけだが、今はきっと、あらゆることをやり遂げた満足感がその胸に去来しているのではないだろうか。
東日本大震災の際、福島第一原発に放水を行ったCH-47チヌークの指揮を執ったのも、当時第1ヘリコプター団長であった金丸だった。
あの映像はどれだけの時間が経っても、私たち日本人の記憶に永遠に残り続けるだろう。
文字通り、命がけで我が国の国難に体を張って立ち向かった、金丸以下空の精鋭たちの活躍であった。
最後に、そのことをもう一度特筆しておきたい。
長い間、本当にお疲れ様でした。
本当に、ありがとうございました。
金丸陸将の第二の人生も充実したものとなりますことを、心からお祈り申し上げております。
【以下、2018年3月18日までの過去記事】
2018年3月現在、補給統制本部長を務める金丸だ。
補給統制本部は、陸自が調達・運用する兵器や武器、需品といった資材を調達する役割を担い、また必要に応じて、全国に5つある補給処(北海道補給処、東北補給処、関東補給処、関西補給処、九州補給処)を文字通り統制する。
なお補給統制本部は、全国に所在する補給処の上級組織と勘違いされがちだが、各補給処の上級組織は方面隊であり、補給統制本部ではない。
2018年3月に新編される陸上総隊がいったい、実務として方面隊とどのような関わりを持つのか。
有事に際しては2個以上の方面隊を指揮できる余地を残しながらも、陸上総隊は方面隊の上級組織ではなく、方面総監は陸上総隊司令官の指揮命令系統に属さないことが決まっているが、あるいは陸上総隊と方面隊の関係も、補給統制本部と補給処のようなものになるのかもしれない。
さてではその金丸のキャリアについてだ。
以下で詳しく見ていきたい。
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