坂田裕樹は昭和47年10月27日生まれ、鹿児島県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第39期の卒業で幹候76期、職種は輸送科だ。
平成29年8月(2017年8月) 第8後方支援連隊長・1等陸佐
前職は陸上幕僚監部装備計画部装備計画課であった。
(画像提供:陸上自衛隊第8師団公式Webサイト)
2018年8月現在、第8後方支援連隊長を務める坂田だ。
輸送科の1等陸佐だが、やはり後方支援職種というのはどうしても、普通科や機甲科と違って目立つことがなく、表に出てくることが少ない。
率直に言って、専用のWebサイトを持っている部隊すら稀だ。
その一方で、この輸送科という職種ほど、2018年現在の安全保障環境の中で極めて重要な役割を果たす事が求められる職種もなく、もっともっと国民に、その存在をぜひ知ってほしい存在である。
自衛隊を志望する読者の方からも、たまにメールを頂くことがあるが、
「もっと後方支援系職種の紹介を増やして欲しい」
という要望も多い。
確かに、後方支援系職種の部隊長クラスは露出が少ないので、ご紹介記事は少ない。
内心忸怩たる思いであるが、そのような中で今回、坂田のことをご紹介できるのは大変光栄だ。
いつも以上に張り切って、この第8後方支援連隊という部隊が、そして輸送科という職種が我が国にとってどれほど重要な存在であるのか。
力を入れてご紹介していきたい。
さて改めて、第8後方支援連隊長の坂田だ。
第8後方支援連隊は北熊本に所在し、西部方面隊隷下、第8師団に属する部隊である。
2018年3月、陸上自衛隊は歴史的な大改革を行ったが、その要諦となるのは戦力の集中と機動力の向上であると理解している。
率直に言って、陸上自衛隊を取り巻く予算環境は極めて厳しい。
多くの部隊で人員と装備にかける予算が削減され、師団隷下にある部隊は方面隊に集約されるなど、伝統と歴史ある部隊の多くがその歴史に幕を閉じ続けている。
そのような中でも、国民が陸自に期待することは一つだ。
さらなる戦力の向上と、我が国の平和と安全に対するさらなる貢献である。
無茶にも程がある陸自への期待値であるが、このような中で、陸自が出した答えの一つが、先述の、戦力の集中と機動力の向上であった。
すなわち、戦力を維持するために、削減された部隊や人員を集約して輸送力や機動力を向上し、有事の際には任意の場所にこれら部隊を投入できる体制を構築すること。
そのために、軽武装で高機動力の部隊を編成し、諸職種混成のあらゆる事態に対応できる能力を確立すること。
そして、これら戦力を目的の場所に、確実に輸送できる能力を確立することである。
つまり、この新しい時代の我が国の防衛構想は、極めて高い輸送能力が備わっていて初めて成り立つ計画であると言えるだろう。
特に、削減された重火砲部隊については、北方(北部方面隊)から西方(西部方面隊)に、長駆輸送し頼りにするところが大きい。
このような計画を支えるのはまさに、陸自の輸送科幹部の責任であり、任務であり、彼ら・彼女らの働きこそが我が国の命運を変えると言っても過言ではない状況であるということだ。
同じ輸送科出身の将官で、第9師団副師団長を務める源弘紀(第31期)などは、東日本震災の際に陸幕装備計画課輸送室長の要職にあり、ロジスティックスを担当したが、
「陸続きであるのに、完全な離島作戦であった」
と、あの大災害を振り返っているのが印象的だ。
すなわち、必要な物資や部隊が十分な士気を維持して待機しているのに、その全てを直ちに東北に投入することができない。
陸路は寸断され高速道路は完全に輸送能力をオーバー。
頼りになる海上輸送では、海上自衛隊の大型輸送艦の数が十分ではなく、なんとかして民間のフェリーを借り上げ、それでも十分ではない輸送力をなんとか確保したほどであった。
今となっては制度化されている民間フェリーの有事活用も、この東日本震災が大きな契機となったが、それほどまでに輸送科の果たすべき能力とは、大きいということである。
戦力も物資も装備も十分なのに、戦うことができない、などという事態を生起させないために、平時から有事を想定した緊張感で任務に励む。
それが輸送科であり、期待されている役割である。
では、そんな輸送科の幹部であり、第8後方支援連隊長を任されている坂田とはどんなキャリアを歩んできたのであろうか。
少し細かく、その経歴を見ていきたい。
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