德田秀久(とくだ・ひでひさ)|第27期・陸上自衛隊

德田秀久(徳田秀久)は昭和35年4月生まれ、神奈川県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第27期の卒業で64幹候、出身職種は機甲科だ。

平成27年12月(2015年12月) 陸上自衛隊富士学校長兼富士駐屯地司令・陸将

前職は第5旅団長であった。

2018年4月現在、富士学校長兼富士駐屯地司令を務める德田だ。

富士学校は普通科、機甲科、それに野戦特科が協働で任務を遂行するための教育及び訓練を行うための学校であり、富士総火演(総合火力演習)を担当することでも知られる。

そのため、陸将である校長の下にはそれぞれ、普通科部長、機甲科部長、特科部長の陸将補職が設置され、更に副校長職にも将補が配置されており、我が国の陸戦部隊の中枢として実戦能力を磨く役割を担っている。

陸将であり、このように極めて重要なポストに補職をされるような德田だ。

そのキャリアはどれも特筆するものばかりだが、全体としていかにも機甲科の鬼らしい補職を歴任してきたキャリアに溢れている。

2等陸佐以降のポストを見てみると、最初に目立つのはやはり第7偵察隊長だろう。

第7偵察隊は、機甲科の聖地にして極めて強力な火力を誇る機甲師団・第7師団の隷下にある部隊だ。

なおこの第7偵察隊。

どこまで威力偵察をするつもりなのか、2018年4月現在で90式戦車が配備されている、冗談のような偵察隊である。

もちろんこんな偵察隊は陸自でここだけだが、おそらく德田の時代から主力戦車が配備されていたはずであり、偵察ついでに敵の小勢力なら叩いてしまいかねない勢いの部隊だ。

いかにも第7機甲師団隷下らしい、物騒な偵察隊である。

さらに1等陸佐に昇り、補職された連隊長職は第71戦車連隊。

いうまでもなく、第7機甲師団の中核の一つである戦車連隊であり、圧倒的な火力で我が国の北方を侵そうとする野心を持つものの意志を挫く。

そして将補に昇任後は第7機甲師団で副師団長を務め、後に軽武装・高機動であらゆる危機に迅速に駆けつける第5旅団長(帯広)にも着任。

北方の最精鋭である機甲科の幹部としてあらゆる現場で指揮官を務め、満を持して富士学校の校長に着任し、同時に陸将に昇った。

普通科、機甲科、野戦特科の協働作戦に責任を持つ男として、これ以上の適任は居ないであろう。

德田の下で、富士学校はさらに多くの幹部・陸曹を鍛え上げ、精強な組織を築き上げたはずだ。

さて次に、その德田のキャリアと、27期組の動向について見てみたい。

德田が陸上自衛隊に入隊したのは昭和58年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成14年1月なので、27期組1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

その後、陸将補に昇ったのが22年3月、陸将に昇ったのが27年12月で、陸将昇任と同時に富士学校長に補職されたことから、平成30年(2018年)4月現在で既に2年5ヶ月の長きに渡り、このポストにあることになる。

そして27期組の動向だが、27期からは既に山崎幸二(第27期)が2017年8月、第36代陸上幕僚長に着任しており、出世レースは完全に終了している。

ただ、第35代陸上幕僚長であった岡部俊哉(第25期)が陸幕長着任後にわずか1年で、理不尽な詰め腹を切らされ山崎の陸幕長着任が1年早まってしまったために、27期の陸将の何人かが未だに退役できていないという状況だ。

山之上哲郎(第27期)・東北方面総監に、小林茂(第27期)・陸上総隊司令官、それに德田である。

3自衛隊の中では、2018年4月現在、陸上自衛隊がもっとも早く若返りと世代交代を進めてるために、27期組の将官を退役させられない状態が続いていたためだが、ただそれも、遅くとも2018年の夏までだろう。

德田を含めて山之上と小林も、同じポストに2年(以上)の補職となり、そもそも同期が陸幕長に着任しているためだ。

だがそれ以上に、統幕長人事の影響の方が大きい。

※小林は、中央即応集団司令官からの補職期間

2018年4月27日には、北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党書記長が韓国側に渡る形で南北首脳会談が行われ、北東アジア情勢の緊張状態は一気に緩和に向かっている。

これまで、緊張感のある国際情勢の中で、なかなか河野克俊(第21期)・統合幕僚長を交代させられない状態が続いたが、さすがに今の状況であれば、2018年5月の河野の統幕長任期について、再々延期は無いだろう。

そしてその後任には、今の情勢であれば陸幕長の山崎が選抜され、統幕長に着任するはずだ。

そうなれば、陸幕長の後任にはおそらく28期から住田和明(第28期)が選ばれる事になると思うが、その場合には27期組の将官は、山崎を除き確実に全員が退役することになる。

早ければこの記事をポストしている1ヶ月以内に、27期の陸将人事に極めて大きな動きがあることになるだろう。

そして、とても寂しい5月になってしまいそうだ。

一方でその場合、陸上総隊司令官の小林は、いくら中央即応集団からの看板の架替えに近いとはいえ、新たに発足した陸上総隊の初代司令官を、わずか3ヶ月も務めずに退役することになる。

本当にこんなことありえるのか・・・?

と思わなくもないが、あるいはこのあたりに、前例のないなんらかのサプライズ人事が仕掛けられるような気がしてならない。

いずれにせよ、たいへん寂しいことだが27期陸将たちの勇姿が見られるのは、もうあと僅かということになった。

德田についても、富士学校長のポストが最後の補職となり、長かった陸上自衛官生活を終えることになるだろう。

残り少ない時間ではあるが、德田を含め長年に渡り国防に尽くしてきた幹部たちの最後の活躍である。

その動向からは最後まで目を離さず、そして応援していきたい。

本記事は当初2017年9月29日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年4月29日に整理し、改めて公開した。

◆德田秀久(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
58年3月 陸上自衛隊入隊(第27期)

平成
6年1月 3等陸佐
9年7月 2等陸佐
14年1月 陸上自衛隊幹部学校付 1等陸佐
14年8月 陸上自衛隊幹部学校教官
15年4月 陸上幕僚監部訓練課評価班長
16年3月 陸上幕僚監部教育訓練課総括班長
17年4月 陸上自衛隊研究本部研究員
14年7月 第71戦車連隊長
19年9月 北部方面総監部防衛部長
22年3月 中部方面総監部幕僚副長 陸将補
24年3月 第7師団副師団長
25年3月 陸上自衛隊富士学校副校長
26年8月 第5旅団長
27年12月 陸上自衛隊富士学校長兼富士駐屯地司令 陸将

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 富士学校公式Webサイト(プロフィール画像及び岳友246号、248号より)

http://www.mod.go.jp/gsdf/fsh/42koucyou.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/fsh/gakuyu/gakuyu.html

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