鶴田眞一(つるだ・しんいち)は昭和36年11月生まれ、静岡県出身の航空自衛官。
防衛大学校は第28期、幹候は74期の卒業だ。
平成31年4月(2018年4月) 航空自衛隊補給本部副本部長・空将補のポストを最後に勇退となることが決まった。
前職は航空救難団司令であった。
(画像提供:航空自衛隊航空救難団公式Webサイト)
2019年4月、数々の要職を歴任し、我が国と世界の平和に貢献をし続けてきた最高幹部がまた一人、自衛隊を去ることが決まった。
航空自衛隊を兵站から支える我が国の防衛の要・補給本部で副本部長を務める鶴田眞一だ。
退役の日は2019年4月1日。
補給本部が所在する東京の十条駐屯地では、退役の日の2日前、3月30日が桜の満開予想となっている。
きっと鶴田の退役の日は、暖かな春の陽気の柔らかい日差しの下、桜のトンネルをくぐり自衛隊最後の日を迎えることになるのではないだろうか。
前職で務めていたのは、我が国の救難隊最後の砦である航空救難団司令であった。
絶望的な自然環境や厳しい災害などの条件の中で、最後の最後まで人命救助を諦めない、空の最精鋭部隊だ。
心身ともに強靭な精鋭たちを束ねることができるものは、心身ともに強靭であり、幹部曹士から厚い信頼と尊敬を得ている将官のみである。
この誇り高いポストを務めたキャリアだけを振り返っても、どれほど鶴田が優れた自衛官であったのか。
窺い知ることができるのではないだろうか。
長い間、本当にお疲れ様でした、ありがとうございました。
何十年かぶりの任務のない毎日はどこか頼りなく感じられるかも知れませんが、まずはゆっくりとお花見になど出掛けられて、暖かな春の日を楽しみ、積年のお疲れをお癒やし下さい。
そして新たに始まるであろう鶴田空将補の第二の人生が、自衛官人生と同様に充実した、素晴らしいものになることを。
そしてご家族様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げております。
重ねまして、本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
2019年3月21日記
【以下は、2018年5月まで更新分の記事】
2018年5月現在、航空自衛隊補給本部副本部長を務める鶴田だ。
補給本部は、その名の通り航空自衛隊で必要となる各種資材や物資の調達から補完・補給までを行う、兵站をコントロールする部署になる。
航空自衛隊が実力組織として機能し、或いは災害救助などにおいて速やかに必要な物資が必要な場所に行き届くように統制することができるか。
その重要な任務を背負っており、いわば常在戦場の組織ということになる。
その鶴田のキャリアはどれも非常に充実した、エリート将補らしい補職になっているが、あえて一つ挙げるのであれば、航空救難団司令のポストであろうか。
航空救難団は、本来の目的は不時着や不時着水などで遭難した自衛隊機のパイロットを救出することを主任務としている。
しかしながら、ただでさえ精鋭である空自のパイロットだ。
そのパイロットが遭難をするような自然環境は、概して極めて厳しい状況である事がほとんどとなる。
そのため航空救難団でメディック(救難員)になれるものは、精神的・肉体的に精強という言葉では生温いほどに、持って生まれた強さに極めて過酷な訓練を経て初めて着任することができるものである。
その訓練は、水中から雪深い山奥での踏破にまで及び、航空機が到達できる可能性がある場所全てが想定となる。
このような精強さを維持していることから、時に救難団は、警察力はもちろん、海上保安庁ですら救助を諦めた事案にも出動し、数々の命知らずな人命救助に挑み、そして成功させてきた歴史を持つ。
東日本震災に際しては、実に3400名を越える人命を救助するなど、その超人的な活躍には枚挙に暇が無い。
平時には、厳しい気象状況の中での離島急患輸送も請け負うなど、常に私達国民生活の「最後の砦」として、その精神的・肉体的な修練を極限まで鍛え上げている部署である。
そのような精鋭部隊の司令に着任できるものもまた、強い意志と高い志を持ち、隊員たちの士気を鼓舞し、その能力を最大限に引き出せるものにしか許されるものではない。
鶴田のキャリアの中で、非常に名誉ある補職の一つであると、言ってよいだろう。
では次に、そんな鶴田がこれまでどんなキャリアパスをこなして現職にあるのか。
同期である28期の動向と併せ、次ページで見て行きたい。
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