鶴田が航空自衛隊に入隊したのは昭和59年3月。
1等空佐に昇ったのが平成15年1月、空将補に昇ったのが平成21年7月なので、共に第28期1選抜前期(1番乗り)となるスピード出世だ。
航空自衛隊では、1選抜前期で将補に昇るものはせいぜい1~2名なので、同期の中で指折りのスーパーエリートと言って良いだろう。
(画像提供:海上自衛隊第3護衛隊群公式Webサイト)
一方で、28期から最初の空将が選抜されたのは2015年3月。
2018年5月現在で鶴田は空将補にあるため、空将補として間もなく10年目に入ることになる。
なお、同期から空将に昇っているものは以下の通りだ。
武藤茂樹(第28期)・航空総隊副司令官(2015年3月)
荒木文博(第28期)・航空幕僚副長(2015年8月)
山田真史(第28期)・航空支援集団司令官(2015年12月)
※肩書はいずれも2018年5月現在。( )は空将昇任時期。
元々、海空自衛隊では1選抜前期~2選抜後期辺りまでの昇任であれば、出世レースに決定的な遅れとならない事があり、逆に言うと1選抜前期だからと言って決定的なアドバンテージになるということはない。
そういった意味では、28期組はとても特徴的だ。
空将補までは、鶴田は武藤と共に、同期の出世頭1番手であった。
そして武藤はそのまま、1選抜前期で空将に昇っている。
一方で山田は、1等空佐に昇る段階で1選抜前期から2年遅れの、平成17年1月の昇任となっている。
よほど、1佐以降の働きが凄まじかったのだろうか。
そこからはものすごい勢いで先を走る同期を捉え続け、ついに28期から3番手での空将昇任を果たした。
なお航空自衛隊については、2017年12月に27期から丸茂吉成(第27期)が航空幕僚長に着任している。
そして航空自衛隊は、海上自衛隊よりも若返りは進んでいるとは言え、陸上自衛隊に比べるとやや遅れている状況だ。
そのため、世代交代を考えると、丸茂の後任に28期から選ばれるのか、29期から選ばれるのか。
そのようなことを考え併せると、あるいは28期組からの空幕長誕生は厳しい状況にあるかも知れない。
次期空幕長はともかくとして、28期組は今まさに、我が国の平和と安全に関するもっとも重い責任を、もっとも重いポストで担っている世代ということになる。
その活躍には今後とも注目し、そして応援していきたい。
※
本記事は当初2017年9月27日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年5月24日に整理し、改めて公開した。
(画像提供:海上自衛隊第3護衛隊群公式Webサイト)
◆鶴田眞一(航空自衛隊) 主要経歴
昭和
59年3月 航空自衛隊入隊(第28期)
59年9月 第2航空団(千歳)
63年8月 防衛大学校(横須賀)
平成
3年3月 第7航空団(百里)
5年8月 幹部学校付(目黒)
6年8月 内部部局防衛局防衛政策課
7年1月 3等空佐
9年3月 第6航空団修理隊長(小松)
10年7月 航空幕僚監部防衛部防衛課(市ヶ谷) 2等空佐
13年3月 第3航空団整備主任(三沢)
15年1月 1等空佐
15年4月 幹部学校付(目黒)
16年8月 航空幕僚監部防衛部防衛課(市ヶ谷)
17年4月 航空幕僚監部防衛部防衛課防衛班長(市ヶ谷)
18年12月 西部航空警戒管制団基地業務群司令(春日)
20年8月 航空幕僚監部人事教育部補任課長(市ヶ谷)
21年7月 第6航空団司令兼ねて小松基地司令(小松) 空将補
23年8月 第2補給処長兼ねて岐阜基地司令(岐阜)
24年12月 中部航空方面隊副司令官(入間)
26年6月 航空教育集団司令部幕僚長(浜松)
27年8月 航空救難団司令
28年12月 航空自衛隊補給本部副本部長
31年4月 航空自衛隊補給本部副本部長のポストを最後に勇退
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