吉川徳等(よしかわ・のりひと)|第41期・第26普通科連隊長

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吉川徳等は昭和昭和48年11月18日生まれ、北海道出身の陸上自衛官。

防衛大学校第41期の卒業で幹候78期、職種は普通科だ。

 

平成31年3月(2019年3月) 第26普通科連隊長兼ねて留萌駐屯地司令・1等陸佐

前職は陸上幕僚監部防衛部防衛班長であった。

なお、第26普通科連隊長としての指導方針は以下の通り。

 

【統率方針】
「即動必遂」

【要望事項】
「北鎮師団の一翼を担う部隊、隊員として為すべきことを為せ」

【駐屯地司令要望事項】
「地域とともにあれ」~地域への感謝、信頼の維持~

(画像提供:陸上自衛隊留萌駐屯地公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊留萌駐屯地公式Webサイト

2019年4月現在、第26普通科連隊長を務める吉川だ。

第26普通科連隊は北海道の西、留萌駐屯地に所在し、対ロシア防衛における要となる役割を果たす。

文字通り、「北鎮師団」の尊称を持つ第2師団隷下にあり、冷戦期にはもっとも戦闘になる可能性が高い国境の街を守る部隊として活躍し、今も精強な幹部曹士を誇ることで知られる。

 

なお、その留萌駐屯地は地図でいうとこんな場所にある。

(画像提供:グーグルマップ)

第二次世界大戦末期がそうであったように、ロシアが我が国に侵攻する際には、北方領土づたいに部隊を進めるか、もしくは樺太から稚内に部隊を進め南侵するのがもっともあり得る想定だ。

しかし2019年現在では、北方領土伝いに部隊を進める理由もなく、また設備や秘匿性の問題から考えても、北海道東側ルートからの侵攻は想定できない。

そのため冷戦期にあっては、稚内からの南侵ルートがロシアの想定であると認識され、陸上自衛隊では第2師団、とりわけ名寄駐屯地を防衛拠点とする方針がとられていた。

上記画像を見てもらえればわかるが、稚内から南侵したロシア軍をここで食い止めることができなければ、大都市・旭川に甚大な被害がもたらされ、また北海道各地に敵性勢力が加速度的に展開し、収拾がつかなくなる。

そのため、陸上自衛隊にあっては名寄を護る主力・第3普通科連隊長のポストは伝統的に非常に重きが置かれ、連隊長経験者の多くが将官まで昇った。

さらに、第3普通科連隊長出身者から陸上幕僚長に昇ったものは、2019年4月現在で3名。

また陸上幕僚長は現職の湯浅悟郎(第28期)で第37代となるが、実に37名中3名が第3普通科連隊長出身という計算だ。

そしてその、具体的な顔ぶれは以下のようになっている。

 

第10代陸上幕僚長 中村龍平(陸士49期)

第14代陸上幕僚長 高品武彦(陸士54期)

第32代陸上幕僚長 火箱芳文(第18期)

 

その他にも、第35代陸上幕僚長着任が確実視されながらも、西部方面総監を最後に退役した番匠幸一郎(第24期)は第28代の連隊長にあたる。

そして番匠はまさに、この第3普通科連隊長時代に隷下部隊を率いて初代イラク復興支援群長を務め、極めて困難で危険なイラク復興任務を完遂した。

 

連隊の数は、廃止されたものを含めれば普通科だけでも第52普通科連隊+普通科教導連隊の53個であり、もちろん別に戦車、特科、高射特科も10数個連隊存在する。

後方系も含めたら100個を優に超える連隊が存在するわけだが、そのなかで、第3普通科連隊長経験者から、37名の陸上幕僚長に3名選ばれていると言えば、この地域の重要性をご理解頂けるのではないだろうか。

北鎮師団・第2師団とはそれほどまでに陸自の基幹部隊であると認識され、長きに渡り冷戦時代の我が国の平和を守り続けた。

 

そしてその一翼を担うのが、上記画像でおわかり頂けるように、この吉川が護る留萌であり、第26普通科連隊となる。

ロシアが南下を始めた際、名寄に対する増援部隊として機能することはもちろん、そもそも稚内から北海道の西岸沿いに迂回し上陸をするとすれば、留萌が最初の攻防の地となる可能性も決して低くない。

ここを抜かれれば、北海道は直接札幌に匕首を突きつけられることになり、非常に厳しい状況に陥るだろう。

そのようなことからも、留萌も伝統的にその防衛が重視され、精強な幹部曹士がその任務にあたってきた。

 

なお、一つ興味深いのは、この第26普通科連隊長経験者から陸上幕僚長に昇った幹部はいないものの、エースクラスの幹部には、この留萌が原隊である最高幹部がとても目立つということだ。

現役だけで言うと、30期1選抜で昇任を続ける東大出身の英才、吉田圭秀(第30期相当)・第8師団長の原隊が第26普通科連隊だ。

同様に、31期組1選抜で昇任を続ける近い将来の陸上幕僚長候補の一人、前田忠男(第31期)・第7師団長も原隊は第26普通科連隊であり、初級幹部の頃、この地で厳しい訓練を受けた。

他に、この4月(2019年4月)に第10師団長のポストを最後に退役されたばかりの甲斐芳樹(第28期)・元陸将も、原隊は留萌であったが、要するに将来を嘱望される多くの若者が、この留萌の地から自衛官生活のスタートを切っているということだ。

 

ご存知のように留萌は、冬の厳しさがハンパではない。

地吹雪、ホワイトアウトの中で自衛隊が様々な災派(災害派遣活動)に従事してきたが、その肉体的・精神的負担は並大抵のものではないだろう。

あるいは、将来を嘱望される若者の多くが留萌で厳しい訓練を受けたのは、そのような厳しさをいきなり肌で覚えることで、心身の鍛錬を期待されたということなのだろうか。

いずれにせよ、名寄と第3普通科連隊のような「わかりやすい凄さと」比べると決して目立つことはないが、実は留萌にはこんな特徴があることも知ってほしいと思う。

そしてそれは、この地を護る全ての幹部曹士が、心身ともに鍛え上げられた非常な精鋭集団であることを意味している。

 

では、そんな留萌の地と第26普通科連隊を任された吉川とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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