【退役】甲斐芳樹(第10師団長・陸将)|第28期・陸上自衛隊

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甲斐芳樹(かい・よしき)は昭和36年10月2日生まれ、熊本県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第28期(化学)の卒業で幹候65期、出身職種は普通科だ。

 

平成31年4月(2019年4月) 第10師団長・陸将のポストを最後に退役することが決まった。

前職は第11旅団長であった。

なお第10師団長としての、自衛官生活最後の指導方針は以下の通りであった。

 

【統率方針】 ー

【要 望 事 項】「任務優先」「訓練実効」「地域信頼」


(画像提供:陸上自衛隊第10師団公式Webサイト 金鯱新聞第587号)

また一人、長年に渡り我が国と世界の平和と安定に多大な貢献をした自衛官が一人、自衛隊を去ることが決まった。

東海・北陸の広大な警備区域を受け持つ第10師団を率いてきた、甲斐芳樹・陸将だ。

 

昭和59年3月に陸上自衛隊に入隊。

原隊(初任地)は我が国最大の規模を誇る普通科連隊の一つ、第11普通科連隊(東千歳)であり、北の最精鋭部隊で初級幹部として厳しい自衛官生活のスタートを切った。

多くの幹部自衛官が「もっとも思い出深い任務」であったと語ってくれる中隊長ポストは、南恵庭の第73戦車連隊。

機甲師団の中核たる最精鋭機甲科部隊で指揮を執り、普通科と機甲科の両方に精通する指揮能力を早くから身につけ、”諸職種協同”を目指す陸自大改革の中で要職を歴任し続ける。

正面戦闘の核心たる北部方面隊と、都市防衛を担う部隊の双方で活躍を続けたそのキャリアは見事であり、今の陸上自衛隊の価値観を体現したかのような、自衛官人生であった。

 

しかしその長かった自衛官人生も、あと10日余りとなった。

退役の日は、2019年4月1日。

なお、第10師団司令部が所在する名古屋の桜満開予想は、2019年は3月31日だ。

甲斐が退役する日は、きっと満開の見頃を迎えた桜のトンネルの下を、多くの幹部曹士に見送られながら正門を後にするのではないだろうか。

まさに、人生をかけて国防に貢献し続けた最高幹部の最後の一日にふさわしい、思い出深い一日になることだろう。

 

甲斐陸将、本当に長い間お疲れ様でした、ありがとうございました。

そして甲斐陸将を支え、共に国防に尽くしてこられたご家族の皆様にも、心からの敬意と感謝を申し上げます。

ぜひ、甲斐陸将と皆様で、充実した第二の人生をお送りされますことを、心からお祈り申し上げております。

2019年3月20日

 

【以下、2018年10月まで更新分、甲斐陸将の通常記事】

2018年10月現在、第10師団長を務める甲斐だ。

2019年夏の将官人事で、おそらく山崎幸二(第27期)の跡を継ぐ形で、第37代の陸上幕僚長が選ばれるであろう、第28期組の陸将の一人である。

名古屋市にその司令部を置くが、担当地域は東海地域だけでなく、福井、石川、富山と日本海側まで及ぶ。

北朝鮮からの侵入及び工作活動をたびたび受けてきた、一方の最前線とも言える地域を守る重要な師団だ。

 

その甲斐だが、ある意味においてとても特徴的なキャリアを歩んできた、普通科出身の陸将と言ってよいだろう。

その原隊(初任地)は東千歳に所在する第11普通科連隊だが、同連隊は「機甲師団」として知られる、第7師団の隷下にある。

そのため、各中隊も装甲車や装甲戦闘車で機動力を確保し、師団の機甲科部隊と完全に協働し作戦行動を取れる編成になっている、我が国で唯一の部隊だ。

そのようなこともあり、部隊の規模も非常に大規模で、普通科連隊でありながらその人員はおよそ1500名。

これは、軽編成の普通科連隊650名の2.5倍に相当し、一般的な普通科連隊800名前後と比較しても倍近い規模だ。

いわば、我が国の普通科部隊の中でも、最精鋭部隊の一つと言っても良い原隊で、初級幹部として自衛官生活のスタートを切ったことになる。

 

さらに特筆するべきは、その中隊長ポストだ。

多くの幹部自衛官が、思い出深い仕事として挙げる事が多い中隊長の職責だが、それは実際に一人ひとりの隊員を中隊長が直接掌握し、指導するからに他ならない。

これが連隊長ともなると、部下として直接指導するのは副連隊長に各科長、それに中隊長であって、その数は極めて少数だ。

大きな組織を動かす指揮官としての醍醐味はあるかも知れないが、大所帯の隊員を抱え、その一人ひとりの隊員と家族のように接し、体温すら感じられる付き合いをするのは、やはり中隊長であるという。

そしてそのような中隊長のポストを、甲斐は普通科の幹部でありながら、北海道南恵庭に所在する第73戦車連隊で経験した。

 

ただでさえ、機甲科の精鋭揃いである第7師団だ。

そしてその機甲科部隊の基幹を為す、第73戦車連隊の中隊長を任されるのは、機甲科の幹部であっても非常な名誉であると同時に、大きなプレッシャーとなるだろう。

職種の垣根を越えた指揮官ポストへの着任はもちろんそれなりにはあるが、その場合、その幹部に特別な期待と役割が掛けられていることが多い。

例えば、第30期組の陸上幕僚長候補の一人、髙田祐一(第30期)なども、普通科の幹部でありながら、陸将補時代には第4施設団長を経験した。

そう言ったことから考えると、甲斐には特に、機甲科と普通科を中心とした諸職種共同の作戦遂行能力が期待され、若年からその期待に沿った厳しい仕事が任されていたということなのだろう。

実際に、第73戦車連隊中隊長を任される前には、諸職種共同のあり方を研究することもその役割の一つである、富士学校での勤務を経験した。

これら、期待の大きさの裏返しである厳しいプレッシャーの中で常に成果を出し続け、そして陸将・師団長まで昇り詰めた自衛官人生であったと言ってよいだろう。

 

では、そんな甲斐とはこれまで、具体的にどんな経歴を歩んできた幹部なのか。

少し詳細に、そのキャリアを見ていきたい。

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