堀江祐一(ほりえ・ゆういち)|第33期相当・高等工科学校長

堀江祐一(ほりえ・ゆういち)は昭和39年7月生まれ、佐賀県出身の陸上自衛官。

少年工科学校生徒第26期を卒業後、下士官として活躍する傍らで日本大学経済学部に学び、平成元年3月に幹部候補生学校に入校しているため、防衛大学校第33期相当の幹部ということになる。

幹部としての出身職種は通信科だ。

平成30年3月(2018年3月) 陸上自衛隊高等工科学校長兼ねて武山駐屯地司令・陸将補

前職は第8師団副師団長であった。

なお、高等工科学校長としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】

「部隊を念頭においた学校理念の実現」

【教育に対する考え方】

『根を養えば樹は自ずから育つ』
(自衛官、そして人生における「基盤(根)」を養う)

(画像提供:陸上自衛隊高等工科学校公式Webサイト

(画像提供:陸上自衛隊高等工科学校公式Webサイト

2019年5月現在、陸上自衛隊高等工科学校長兼ねて武山駐屯地司令を務める堀江だ。

「自衛隊の高校」とも評されることがある教育機関で、中学を卒業した優秀な少年を全国から  誘拐  選抜し、精強な陸曹を育成することを目的とする。

堀江自身も、15歳の春であった昭和55年4月から少年工科学校(現・高等工科学校)の生徒26期として学んだため、自衛官生活38年目にして、懐かしの母校に校長として帰ってきたことになる。

ところでこの少年工科学校という制度。

考えようによっては非常に過酷な教育制度だ。

中学を卒業したとはいえ、年齢はまだ15歳(16歳になる年)の少年を親元から完全に引き離し、全寮制の教育を施そうというのである。

もちろん外出は厳しく制限され、親や家族とも自由に連絡を取ることもできない。

ましてここは、15歳にして自衛官になろうという決意をした、平均よりも相当ぶっとんだ、鼻っ柱の強い連中の集まりでもある。

令和の今でこそそんな話は全く無いが、昭和の時代にはそれこそ、上級生による  鉄拳制裁  厳しい指導などは当たり前で、グーでぶん殴られた話など誇張でも何でも無いレベルであったそうだ。

もちろん、日々の学業や訓練も普通の高校生の比ではないレベルで、次々に少年たちに課され続ける。

そのような中、少年たちの心を癒やしたのは、やはり同期の仲間たちであったそうだ。

それもそのはずだろう。

同じ釜の飯を食ったどころか、同じ風呂に入り、同じ屋根の下で暮らし、同じ困難に共に立ち向かい続けた仲間たちである。

多感な青春時代ど真ん中を、野郎どもしかいない環境で共通の目標のために努力をし続けた仲間たちとの絆が、深くならないはずがないではないか。

今から40年近く前に、ここ(高等工科学校)で過ごした堀江には、誰よりもそれがわかっている。

だからこそ、堀江が生徒を見つめる目は、厳しくもとても温かい。

上記画像2枚めは令和元年5月11日(土)に、横須賀商工会議所で実施された国際ソロプチミスト横須賀主催のユースフォーラムに、高等工科学校の弁論部が参加した際のものである。

生徒に寄り添い親しく力づける堀江の姿がとても印象的だ。

堀江には、彼らが今、人生の中で非常に意義深く、そして思い出深い時間を過ごしていることがよくわかっている。

だからこそ、自身の持つ知見を全て余すこと無く伝え、素晴らしい自衛官に育て上げたいと願っている。

3年という限られた短い時間の中で、厳しく鍛え上げ、そして多くの素晴らしい思い出とともに卒業して欲しいと願っている。

きっとそんな想いで、この陸上自衛隊高等工科学校長という重責に臨んでいるのではないだろうか。

そして長かった自衛官生活の中でも、堀江自身も、とても印象深い任務になっているのではないだろうか。

では、そんな次世代の育成に大きな責任を担う堀江とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする