石田広記(中央即応連隊長・1等陸佐)|第39期・陸上自衛隊

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石田広記(いしだ・ひろき)は京都府出身の陸上自衛官。

防衛大学校第39期の卒業で幹候76期、職種は普通科だ。

生年月日は判明しないものの、39期であればストレートの場合、昭和47年度生まれの年次にあたる。

 

平成29年8月(2017年8月) 中央即応連隊長・1等陸佐

前職は北部方面総監部情報部情報課長であった。


(画像提供:陸上自衛隊中央即応連隊公式Webサイト

2018年3月に新編となった陸上総隊の基幹をなす部隊の一つ、中央即応連隊で連隊長を務める石田だ。

「俺がやらねば誰がやる」の部隊スローガンを掲げており、その士気・練度は極めて高い。

陸上自衛隊最精鋭部隊の一つとして知られ、海外派遣任務や、国内で発生した緊急事態に際しては、先遣隊として事態の掌握にあたる役割が期待されている。

またテロやゲリラなど、我が国が都市型の攻撃を受けた際に必要な即応能力を高めた部隊編成になっていることも、その特徴だ。

軽武装高機動が基本ではあるが、一方で重機関銃や対戦車砲を備えるなど、初期制圧だけに特化した部隊ではないことも、その編成の特徴になっている。

 

なお、中央即応連隊は2008年に発足したばかりのまだ新しい組織であり、石田が5代目の隊長にあたる。

そしてその初代隊長は、陸自史上最怖の強面として一時期、ネットを騒がせたことでも知られる山本雅治(第27期)。

初代隊長当時のお顔はこちらである。


(画像提供:陸上自衛隊中央即応連隊公式Webサイト

防衛大学校第27期なので、陸上幕僚長の山崎幸二(第27期)や、初代陸上総隊司令官のポストを最後に勇退となった小林茂(第27期)と同期にあたる。

真偽は不明だが、中央即応連隊の活用法を巡り事務方と大喧嘩になり、それが元で退役したという話を聞いたことがある。

話の真偽はともかく、そんな噂が流れるほどに、自身の信念に真っ直ぐなお人柄の幹部であったということなのかも知れない。

 

なお、退役後は広島県の防災担当監を務められているが、このコワモテで一般公務員は卑怯である。

こんなコワモテの人がお役所の名刺を持って現れたら、怖くて何一つお仕事をお願いできそうにないではないか、と思うところだが、退役後は随分と穏やかなお顔立ちになられていた。

広島県の公式Webサイトでも確認できるが、指揮官の重責から解放されると、やはり少し穏やかになれるのかも知れない。。

 

話を石田に戻す。

そんな中央即応連隊の5代目連隊長を務める石田だが、我が国の基幹とも言える精鋭集団を任される幹部とは、一体どのような経歴を歩んできたのか。

少し詳細に、そのキャリアを見ていきたい。

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