谷村博志(たにむら・ひろし)は昭和38年6月生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第31期の卒業で幹候68期、出身職種は普通科だ。
平成30年3月(2018年3月) 自衛隊体育学校長・陸将補
前職は宮城地方協力本部長であった。
なお自衛隊体育学校長としての統率方針は以下の通り。
【統率方針】 錬
【要望事項】 目標 努力 協調
(画像提供:自衛隊体育学校公式Webサイト)
(画像提供:自衛隊体育学校公式Webサイト)
2019年11月現在、自衛隊体育学校長を務める谷村だ。
体育学校は、陸海空3自衛隊の統合組織ではあるが、第30代となる谷村までその校長ポストは全て陸が務めており、陸将補の指定ポストという形になっている。
部隊等における体育指導者の育成が本来の設置目的だが、どちらかというと、国際的なスポーツ競技会で成果を挙げるための国策部隊として機能している側面が大きい。
実際に、1961年の設置以降に最初に開催された1964年の東京オリンピック以降、全てのオリンピックに選手を送り込んでおり、20個のメダル(2018年11月現在)を獲得するなど、所属選手の活躍は顕著だ。
いわば国策として強いアスリートを育てることを任されるポストとも言えるが、その学校長に着任した谷村である。
充実したキャリアはいずれも印象深いポストばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、それは平成22年3月から務めた、対馬警備隊長兼ねて対馬駐屯地司令の任務だろうか。
対馬警備隊長は文字通り、我が国の国境に所在する対馬の警備隊トップだ。
古くは、元寇の際に島民が敵性勢力による虐殺行為の犠牲になるなど、数次に渡り大きな被害を受けてきた歴史を持つ島である。
また2012年に発生した、隣国窃盗団による仏像盗難事件が象徴するように、様々な形での国境事案も多発する島でもある。
当然、その警備は厳重・・・と言いたいところなのだが、諸職種混成からなる部隊の規模は、実はわずか350名にとどまる。
参考までに通常、一般的な普通科連隊の規模はおよそ850名前後だ。
軽編成の普通科連隊でも650名前後の構成であることを考えると、その半分程度の規模であり、敵性勢力の攻撃に対応する規模としてはとても十分とは言えない。
しかしそれでも、同部隊は「山猫部隊」の尊称で呼ばれるなど、対ゲリコマ戦闘に特別な訓練を積んだ、我が国屈指の精鋭部隊としても知られている。
おそらく敵性勢力からの攻撃にあっては、要衝や反撃の拠点を確保することを目的とした戦闘思想で訓練を積んでいるのではないだろうか。
早くから、いわば諸職種混成で運用をされるなど、陸自の中では特別な存在感を放つ精強な部隊であったが、谷村が隊長を務めていたのはそのような部隊であった。
画像からは、とても穏やかなおじさんに見えるが、実はそれほどの特殊任務を任されていたほどの、切れ者の最高幹部である。
では、そんな要職を歴任した谷村とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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