園田直紀(航空集団司令官・海将)|第31期・海上自衛隊

園田直紀(そのだ・なおき)は昭和37年12月生まれ、東京都出身の海上自衛官。

防衛大学校第31期の卒業で幹候38期、出身職種は飛行でP-3C哨戒機のパイロットだ。

平成30年12月(2018年12月) 航空集団司令官・海将

前職は海上幕僚監部人事教育部長であった。

(画像提供:海上自衛隊自衛艦隊司令部公式Webサイト

(画像提供:海上自衛隊幹部候補生学校公式Webサイト

2019年4月現在、航空集団司令官を務める園田だ。

航空集団は海上自衛隊の航空機部隊であり、固定翼機、回転翼機双方を束ねる。

対艦・対潜を始めとした我が国の安全保障政策の切り札とも言える精鋭部隊だが、近年ではPKOなど、国際貢献の舞台でもその活躍が目覚ましい。

なお海自における航空機の実力部隊を隷下に収めるが、パイロットの育成や教育は教育航空集団が担っており、完全に切り分けが為されている。

そのため、同じP-3CやSH-60Kなどを運用する部隊でも、各地に所在する教育航空群や教育航空隊は別組織になっているので注意して欲しい。

さて、その海自の精鋭部隊である航空集団についてだ。

その活躍は幅広く、アフリカ・ソマリア沖での海賊対策や、直近では  韓国軍による  北朝鮮による瀬取りを取締る現場でも活躍しており、いろいろとご紹介したいネタは尽きないが、ここでは救難飛行隊の活躍についてふれておきたい。

2015年9月の話だ。

その時、第31航空群司令を務めていた園田は、一人の珍しい来客を岩国基地に迎えていた。

在日米軍兼第5空軍司令官、ジョン・ドーラン空軍中将であり、F-16戦闘機のパイロットで鳴らした人物である。

海自の基地を在日米軍の幹部が訪問することの何が珍しいのかと、疑問に思われるかもしれないが、実はこのドーラン中将。

1992年1月の若かりし頃、F-16戦闘機で洋上に墜落した経験を持つ。

墜落地点は、東京からはるか1100km余り東の太平洋上。

米軍からの通報と要請を受けた海上自衛隊は直ちに第71航空隊に命令し、厚木基地からUS-1Aで救助に向かう。

5時間後、現場上空にたどり着いたものの燃料は30分程度しか保たない。

さらに波が高く荒れる太平洋上で、ドーラン中将の救助は困難を極めたが、パイロットの貴田英樹・二等海佐以下の精鋭たちは命がけで任務にあたり、中将を救出。

無事帰還することに成功した。

そしてそれから23年余りが経った2015年6月。

在日米軍司令官の就任式が行われることになったが、その時、新任司令官として赴任してきたのがドーラン中将であった。

中将は就任式の際、この時の出来事を振り返り、貴田2佐以下の勇気ある隊員たちを名指しして、

「彼らがいなければ、私はここに立っていなかったでしょう」

と感謝を述べ、日米の固い結束を誓う言葉とした。

そして着任から3ヶ月余り。

当時自分を命がけで救出してくれた隊員たちに改めて感謝を伝えるために訪れたのが、この時の岩国訪問である。

ドーラン中将は当時を振り返り改めて感謝を述べると、3人と固い握手を交わし、そしてチャレンジコインを手渡したそうだ。

なおチャレンジコインとはアメリカ軍の風習で、部隊長の裁量で配布する、叙勲に準じた栄誉あるギフトだ。

そしてコインは握手をする際に手の中に隠し持ち、握手をしながらサプライズで渡すのが流儀とされる。

おそらくこの時も、そのように手渡されたのかと思われるが、23年余り経ってから訪れた思わぬサプライズに、隊員たちの士気もますます高まったのではないだろうか。

ぶっちゃけ園田は、ドーラン中将のカウンターパートとして同席しただけのような気がしないでもないが、一つの良い思い出になったことだけは間違いないだろう。

そして日本のメディアは、このような事実は絶対に報道しない。

だから当サイトで、一人でも多くの人に知って貰うべく、クローズアップしたかった。

こんなところでも、海自の隊員はそれぞれの立場で日米同盟、ひいては世界平和に貢献していることを、知ってほしいと願う。

では、そんな要職を歴任してきた園田とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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