椙村恭士(すぎむら・たかし)|第31期・航空自衛隊

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椙村恭士は愛知県出身の航空自衛官で防衛大学校第31期の卒業。

職種は飛行で、F-15戦闘機のイーグルドライバーだ。

 

平成27年4月(2015年4月)  第33代第13飛行教育団司令・1等空佐。

前任は航空支援集団司令部防衛部長であった。

 

椙村が初めて飛行隊長を任されたのは、当時百地基地に配備されていた305飛行隊であり、F-15戦闘機からなる戦闘部隊だ。

以降、飛行教育航空隊司令、第13飛行教育団司令など、パイロットの卵たちを教育し、また日本最高のパイロットを目指す部隊で指揮を執っていたことが目立つキャリアになっている。

特に教空隊(飛行教育航空隊)は新田原基地に設置されている航空隊であり、日本最高の教官パイロットたちが集う部隊で、防空の要であるF-15戦闘機パイロットを選抜・教育する日本唯一の教育機関だ。

 

我が国の空の安全を担保するためにF-15戦闘機の存在は絶対不可欠だが、そのイーグルドライバーになるためには、T-4練習機やT-7練習機の段階で極めて優秀な成績をおさめた者にしか、その挑戦権が与えられることはない。

そして晴れて教空隊に入隊が認められても、ここにいる鬼教官たちはいずれもF-15戦闘機を愛機として、国防の最前線で中国やロシアの不審機に向け果然とスクランブルに上がり、結果を出してきた精鋭中の精鋭で猛者ぞろいだ。

そんな鬼教官たちの過酷な訓練をくぐり抜け、勝ち抜いたもののみがF-15戦闘機に乗ることを許され、そしてイーグルドライバーの称号を手に入れることができる。

 

椙村がかつて指揮を執っていた飛行教育航空隊とはそのような組織であり、なおかつ、2017年現在指揮を執っている部隊は第13飛行教育団司令。

第13飛行教育団はT-4練習機を使い、パイロットの卵たちに初級訓練を行う部隊だが、飛行教育航空隊からさらに上流に遡り、基礎の段階でパイロットに教えを授ける部隊の指揮官に着任したことになる。

 

航空自衛隊がどれほど椙村の腕を評価し、日本の将来の国防をその手腕に託しているか。

そんなことを窺い知ることができる、凄腕パイロットのキャリアになっている。

 

 

そんな椙村の空幕でのキャリアは、運用課(作戦)や人事畑が多くなっており、一般にエリート街道と言われるキャリアを歩んできているが、31期として2017年現在、1佐の階級であれば階級上、出世頭というわけではない。

あるいは生粋の飛行機乗りで出世とは無縁に自らの腕を磨き、そして後進の教育こそ自分の天命であると現場で生きることを決めているのであろうと思われるが、階級や役職とは無縁に、自らの持つ技量を若いパイロットに教えることに生き方を決めたパイロットの姿がここにある。

 

佐官として現場に生き、若いパイロットたちに学んだことの全てを伝える任務に生きがいを感じるエリートパイロット。

そんな男らしくかっこいい在り方も、また高級幹部の生き方の一つだ。

(とは言え、ほどなくして将補に昇任になるのは間違いないとは思われるが)

 

◆椙村恭士(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
62年3月 防衛大学校卒業

平成
16年3月 第7航空団第305飛行隊長
17年9月 航空幕僚監部防衛部運用課企画班総括
18年8月 幹部学校付(幹部高級課程)
19年7月 航空幕僚監部人事計画課養成班長
21年7月 飛行教育航空隊司令
22年7月 航空幕僚監部人事計画課長
24年7月 航空支援集団司令部防衛部長
27年4月 第13飛行教育団司令

 

◆姓名判断

完璧主義であり、何事も中途半端にできない強い責任感があるが、度を越して協調性を失うことも。

何事にも積極的にチャレンジすることで大きな成功をおさめ、また人の縁にも恵まれ申し分のない人生を送れる。

基礎運にやや低さがあるため、思いがけない不運に備えて慎重な生き方を心掛けると晩年にかけて運気が上がる。

 

 

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 芦屋基地(第13飛行教育団)公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/ashiya/butaishoukai/13ftw/index.html

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