田村大二郎(たむら・だいじろう)は昭和47年10月21日生まれ、千葉県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第40期の卒業で幹候77期、職種は高射特科だ。
平成28年8月(2016年8月) 第8高射特科大隊長・2等陸佐
前職は高射教導隊3科長であった。
※田村2佐は、2018年8月1日付で異動されていました。
後任の大隊長について、後日改めて記事にさせて頂きます。
(画像提供:陸上自衛隊第8師団公式Webサイト)
2018年8月現在、第8高射特科大隊長を務める田村だ。
どこか織田裕二に似ているイケメンであり、我が国の最前線である第8師団で、国防の要となる高射特科を率いる。
なお最初に少しお話しておくと、本記事は1等陸佐のカテゴリーに入れさせて頂いているが、田村は2等陸佐だ。
特にご紹介したい幹部がいる場合、階級にかかわらず記事にさせて頂くことがあり、その点だけご容赦願いたい。
その上で、田村をご紹介したかった理由である。
自衛官には様々な生き方がある。
若い力を活かし国防に貢献しようと、陸士(海士、空士)になることを選んだもの。
生涯現場で生きる事を選び、職人でありたいと願って下士官(3曹~曹長)の自衛官人生を貫くもの。
トップを目指し、将官に昇って最高幹部に就こうとするもの。
そして、幹部自衛官であってもトップを目指すこと無く、現場の指揮官クラスで我が国の平和と安全に貢献する人生を選ぶものだ。
田村のキャリアは、自分自身の居場所と適性をこの最後の現場の指揮官クラスに見定めた男の生き方のように思える。
そして、現場を率いるリーダーとして国防の最前線で、今日も厳しい任務に励んでいる。
自衛官の階級は、その直卒する部隊の規模により階級が変わってくるが、言うまでもなく連隊には大隊が、大隊には中隊があり、もっとも大事なものは大本になる分隊であって、そして一人ひとりの自衛官だ。
そしてあらゆる階層を率いるリーダーには、それぞれの階層に応じた適性と要求される能力があるが、この自らの適性を見定めて居場所を定める能力こそが、ある意味でもっとも大事なことかもしれない。
時に、最高幹部に必ずしも適任ではなかった幹部が上に行った上で、不本意な形で自衛隊を去っていく人事を見ることがある。
そうなった場合、本人も無念ではあろうが、時に大きなダメージを受けるのは本人だけでなく組織全体となる。
そう言った意味では、自らの適性と居場所を早くに見定めて、そのポジションで最高の結果を出す道を選ぶ生き方が選べる自衛隊は、民間も見習うべき良い仕組みを持っている。
そして何よりも、そのような生き方を選び、国防のもっとも厳しい最前線で指揮を執る田村は輝いている。
そんなことを田村のキャリアから感じることができたために、今回特に、ご紹介をさせて頂きたくなった。
では、その田村はこれまで具体的にどんなキャリアを歩んできた幹部なのか。
少し詳しく見ていきたい。
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