今村武(いまむら・たけし)は昭和41年11月生まれ、熊本県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第34期の卒業で幹候71期、出身職種は機甲科だ。
なお出身高校は、自衛隊幹部を輩出することにかけては日本一と言っても良い熊本の名門・済々黌高校である。
なお、済々黌高校は「せいせいこう・こうこう」と読む。
平成31年4月(2019年4月) 北部方面総監部幕僚副長(防衛)・陸将補
前職は中部方面総監部防衛部長であった。
(画像提供:小島肇様)
2019年6月現在、我が国最大の火力と勢力を誇る北部方面総監部で、幕僚副長を務める今村だ。
熊本県下随一の進学校にして、伝統的に多くの幹部自衛官を育ててきた済々黌高校を卒業し、防衛大学校に入学している。
そんなこともあり、今も執務机の上にはくまモンが鎮座している自衛隊のサラブレッドである。
ところで、上記2枚のお写真はいずれも、私に自衛隊に関して多くのことを教えて下さっている師匠、小島肇(第19期)・元2等陸佐からお借りしたものだ。
2枚めの写真、今村陸将補の左側の紳士である。
退役後は、「hajimevision」という映像事務所を立ち上げられて、今も迫力ある自衛隊の活躍をカメラに収め続ける、プロのカメラマンでもある。
北部方面総監部に足を運ばれた折に、済々黌高校の後輩である今村陸将補を表敬訪問されたということで、貴重なお写真をお借りすることができた。
ぜひ、小島元2佐の活躍についても上記リンクからご確認の上で、宜しければamazonなどで発売されている自衛隊DVDを購入して欲しい。
至近距離から撮影された隊員の活躍を収めた映像は、すごい迫力です!
ぜひ、一度ご覧下さい!(宣伝)
・・・話がそれたので、今村のご紹介に戻りたい。
そんな名門高校を卒業し、自衛隊に入隊した今村だが、これほどの要職を任される最高幹部だ。
そのキャリアはいずれも特筆すべきポストばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、それは平成24年12月から務めた、第72戦車連隊長の要職であろうか。
ご存知のように第72戦車連隊は、北恵庭駐屯地に所在し、第7機甲師団の中核となる戦力を構成する、我が国最強の機甲科部隊の一つである。
対ソ連(対ロシア)戦闘の主力として、戦後から今に至るまでその幹部曹士には特に精鋭が充てられており、士気・技量ともに圧倒的な充実度を誇る。
当然、その指揮官には伝統的に、将官に昇るようなエリートが着任することが多かったが、今村の4代前、すなわち第14代連隊長は現・北部方面総監の田浦正人(第28期)であった。
現役はもちろん、退役された自衛官の誰に聞いても、その力量とお人柄を称え、悪く言う人を聞いたことがない陸将だ。
その田浦を始めとして、多くの最高幹部が若かりし頃に指揮を執った第72戦車連隊で、今村もまた指揮を執った。
その一点でも、今村の今後には期待が高まるばかりだ。
なお余談だが、今村と言えばもう一つ思い出されるのが、前職である中部方面総監部防衛部長時代の「謝罪」であろうか。
自衛隊ファンであれば記憶に新しいと思うが、陸上自衛隊は2018年11月、饗庭野演習場での演習中に砲弾を付近の国道に打ち込むという、なかなか派手な誤射をやらかした。
またそれに先立つ2015年7月にも、饗庭野演習場での跳弾が民家の屋根をブチ破るという、派手めの事件をやらかしている。
そんなこともあり、2018年11月の事件では中部方面総監部で、当時防衛部長を務めていた今村が地元自治会などへの説明会に足を運ぶことになった。
そしてテレビカメラの前で謝罪をすることになったのだが、そのシーンは繰り返しメディアに流された。
なお2018年11月の場合、状況そのものは信太山駐屯地に所在する第37普通科連隊がやらかしたものである。
また饗庭野演習場は今津駐屯地司令の管轄であったと思うので、状況に対して今村が直接関与しているものではない。
上級司令部にあり、隷下部隊の演習などに責任を持つ防衛部長として、いわば「上の上の親分」が登場し、カメラの前で頭を下げたものだ。
誤解を恐れずに言うと、私(管理人)はこのような、組織や部下のために頭を下げられる上司や指揮官というものを、いつもカッコいいと思いながら見ている。
かつて、陸上自衛隊幹部候補生学校で後進の指導育成を行い、今も多くの幹部自衛官の尊敬を集める、ある元幹部自衛官は、
「責任罰は男の勲章たい!」
といって、かつての教え子の背中を叩いたそうだ。
率直に言って、20数万人もいる自衛隊であれば、巡り合わせの中で組織の不祥事に頭を下げることなど、1回や2回はあるに決まっている。
上に行けば行くほど、責任罰を取らされることも、どうしても避けられない。
岡部俊哉(第25期)・元陸幕長の例を出すまでもなく、時に理不尽な詰め腹を切らされることもあろうだろう。
しかしその時に、どれだけ美しく立ち居振る舞い、部下のために頭を下げることができたのか。
そこでこそ、組織の上に立つものや、指揮官たるものの本当の力量が問われるのではないだろうか。
勝ち戦での掃討戦であれば、並の指揮官でも成果を挙げられるかも知れない。
同様に、誇らしい成果のメディア発表なども、誰にでもできる容易な仕事だろう。
しかしこと、撤退戦の中で士気を維持しながら損害を最小限に抑えることは、本物の指揮官にしかできない仕事だ。
同様に、組織の信頼を揺るがしかねないメディア発表などの場にあってこそ、上に立つものの本当の力量が問われる。
そういった意味では今村の謝罪は本当に見事であった。
あの状況にあっても、中部方面総監部は常に地元と共にあるという想いを、しっかりと伝えることに成功した。
そんな今村の頭を下げる「勇姿」こそまさに、「責任罰は男の勲章」ではないだろうか。
そんなところにこそ、将器にある幹部の、本当の力量を見る思いであった。
では、そんな今村とはこれまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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