山野正志(やまの・まさし)は昭和39年6月29日生まれ、愛媛県出身の航空自衛官。
法政大学法学部法律学科を卒業し、平成3年3月に幹部候補生学校に入校の幹候81期であり、防衛大学校第35期相当の幹部ということになる。
職種は飛行であり、F-4戦闘機のパイロットだ。
平成29年12月(2017年12月) 自衛隊埼玉地方協力本部長・1等空佐
前職は航空幕僚監部監察官であった。
なお、自衛隊埼玉地方協力本部長としての指導方針は以下の通り。
【本部長要望事項】
「至誠をもって任務に邁進せよ」
(画像提供:自衛隊埼玉地方協力本部公式Webサイト)
2018年7月現在、自衛隊埼玉地方協力本部長を務める山野だ。
防衛大学校ではなく、法政大学の法学部を卒業し幹部任官、さらにF-4戦闘機のパイロットとなっているが、少なくとも18歳の頃には既に航空自衛官であったようだ。
というのも、埼玉地本の本部長挨拶ページの記述ではあるが、2017年12月に「私が35年前に熊谷基地の第4術科学校にいたとき」とあるためだ。
山野は昭和39年の生まれであり、2017年の35年前は1982年(昭和57年)となるので、あるいは高校を卒業し曹士として入隊した後に、勤務の傍らで法政の2部(夜学)に通ったということだろうか。
このあたりは判明しないので、正しい情報が分かり次第加筆したい。
なお、幹候は81期の防衛大学校第35期相当なので、奈良の幹部候補生学校に入校した時には、既に26歳だった計算になる。
そこから空自の戦闘機パイロットになるとは、いろいろな意味で色々なことが突き抜けている、本当に凄い幹部だ。
恐らくその分、訓練も勉強も相当に苦労した、並大抵の努力ではなかったキャリアを歩んできたはずだ。
そんな人生を歩んできた幹部自衛官が、地方協力本部長として民間人と接点の多いポジションに就いたということになる。
恐らく、人生に躓いている若者であっても山野の話を聞けば「俺も自衛官として、頑張れるかも知れない。」ということになるような気がする・・・。
そんな事もあって、あるいは地本長という大役を任されたのかも知れない。
なお念のためだが、地本長の仕事は自衛隊の「営業本部長」だ。
一人でも多くの若者に自衛隊をアピールし、優秀な隊員を一人でも多く獲得すること。
また幹部曹士で早期退職となる自衛官に、第二の人生となる働き口を探すために、地域の企業に自衛官の優秀さをアピールすること。
さらに自衛隊の知見を民間に提供し、防災や減災の役に立ててもらうことなどが地本の仕事だが、本部長はその責任者となる。
いろいろな意味で苦労をしたであろう山野がそのポストに就けば、きっと魅力ある仕事で自衛隊を身近に感じる民間人が一人でも増えることになるのではないだろうか。
ぜひ埼玉在住の人がいれば、機会があれば山野の話を聞きに行って欲しい。
では、そんな空自の”変わり種”である山野はこれまでどんなキャリアを歩んできたのか。
少し詳細に見ていきたい。
恐らく自衛隊生徒から航空学生を経て幹部任官後に大学卒業をしたと思います。
そうなのですね、ありがとうございました!
違うでしょうね。
航空学生を経ているのであれば、出身が幹候81期とはならないでしょう。
わたしにはわかりません
(^_^;)
山野さぁ〜ん、相変わらず、ご活躍なさっていらっしゃるのですね。(これっって、ご本人に伝わるのかな)
法大でご一緒していた私、当時、確か2チャンネルの
HNは南だったかな。ふと思い出して検索したら。お元気そうなお姿が拝見できて感激致しました。
ワハハと豪快に語るお話しは面白く、すっごいことをなっていらっしゃるのに、決して嫌じゃなく、高飛車でもない。彼が登りつめたきっかけは、人望以外にないと思います。
今後のご活躍を陰ながら応援しております。
またいつか、飲みたいですねぇ。
こんにちは、「2ch」ではなく「nifty」の「通教フォーラム」ではないでしょうか。「南さん」ですね。
20年ぶりでしょうか。懐かしいですね。
このサイト、知りませんでした(^^;) たまたま今の職場の上司が教えてくれ、今「通りかかった」ところです。
「ご活躍」ではないですよ。昨年6月に定年しました。現在は都内の会社に就職しました・・・とはいってもこのコロナ禍・・・2週間に1回の本社勤務です。早くワクチン接種回ってこないか心待ちです。これが明けたら旧交を温めたいですね。
こんばんは!いま埼玉県倫理法人会の皆さんと呑んでいて、お名前が出ました。生徒28期ですか?18期の犬伏と申します。
1年以上書き込みに気づいていませんでした。失礼しました。私は26期生です。
横から管理人です、失礼します。
m(_ _)m
退官されていたのですね・・・!
長い間、本当にお疲れさまでした!
ネット♂️してたら山野さんの記事見つけました。写真を見る限り間違いなく当時の面影がありました。高校時代の同級生の米山(旧姓久保田)ですよ。覚えてますか?
自分の結婚式に遠方よりご出席いただきありがとうございました。確か北海道からでしたかね?もう27〜8年前になりますかね。
結婚してから子供は3人出来て現在は全員社会人です。
お礼に手紙を送ったのですが音信不通になって返ってきました。
記事を見ると何だか自分の手の届かないところに行ってしまったようです。最初は陸自にいましたよね?それが航空自衛隊とはびっくりです。
高校時代は野球で全国大会に出場したりして良い思い出ですね。
お体に気をつけてお元気で。
コメント頂きましてありがとうございました!
山野1佐に関しては本当に謎のご経歴ですね。。
陸自から空自ですか?
生徒のご出身なんですかね。
コメントありがとうございます。
昼間に陸自に勤務していて夜に定時制高校に行ってましたヨ。
通りすがりの本人です。
同姓同名の陸上自衛官がいるのでしょうか。私は最初から航空自衛官でした。北海道勤務もありますが、昭和59~61年だったと記憶します。なので、2021年から逆算すると35年以上前なので、残念ながら別の山野さんでしょうね。
いろいろな人が私の経歴に注目してくれているようですが、私は、
航空自衛隊生徒~部隊勤務~大学通信教育開始~一般幹部候補生課程~操縦教育課程~部隊配属~大学卒業~韓国空軍大学・・・の順番です。本文に指摘のとおり一般幹部候補生の採用年次と年齢が一致しません。いろいろ回り道をしたため幹部任官が同期より4年遅く、その分早く定年退官しました。埼玉地方協力本部に配置されたときには定年まで2年7か月しかなく、陸上自衛隊にお願いして最後(定年)まで埼玉地本に置いてもらいました。在職期間は40年と3か月でした。もう過去の人です・・・
通りすがりの本人です・・・
わたくしは、愛媛県出身で中学を卒業後、今は整理されて存在しない「航空自衛隊生徒」に入隊しました。
10年の勤務を経て「一般幹部候補生」を受験してパイロットになりました。
その間、4年弱の北海道勤務はありますが、航空自衛隊です。陸自での勤務は最後の地方協力本部のみであり、恐らく同姓同名の違うかたですね・・・(同姓同名の人が同じ自衛隊のなかにいるのですね。)
なお、記事本文の記述から(わたくしの)経歴に疑問を持ってくれる方がおられるようですが・・・
どなたかのご指摘のように航空学生には進んでいません。
航空自衛隊生徒~部隊勤務~大学通信教育開始~一般幹部候補生合格~部隊勤務~大学通信教育終了・・・の順番です。
本論に書かれていましたが、一般幹部候補生合格が26歳、すなわち同期生よりも4歳、歳をとっています。よって定年退官が(同期生より)4年早く来た・・・ということです。なお、定年退官予定日まで3年を切っての地方協力本部長赴任だったので、陸自にお願いして最後(定年)まで地方協力本部で勤務させてもらいました。
・・・ということです。
山野様!
コメントを頂き感謝申し上げます!
本当にお疲れさまでした。
生徒のご出身だったのですね^^
このたび私、つばさ会への入会を認めて頂きました!
またぜひ、どこかでお会いできれば嬉しく思います。
ありがとうございました!
そうですか。同姓同名の方でしたか。失礼しました。顔つきもそっくりだし本人に間違いないと思って投稿してしまいました。ごめんなさい。