山之上哲郎(やまのうえ・てつろう)|第27期・陸上自衛隊

山之上哲郎は昭和35年7月15日生まれ、宮崎県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第27期の卒業で幹候64期、出身職種は普通科だ。

なお出身地であるが、東北方面隊の公式Webサイトには宮崎県と記載があるものの、自衛隊年鑑には千葉県と記載されている。

また防衛年鑑では公式サイトと同じ宮崎県だ。

読者の方から頂いたご連絡では、自衛隊年鑑では本籍地や自宅住所を記載している事も多いので、食い違いがあるのではないか、とのことであった。

おそらく出身は宮崎ということで間違いなさそうだ。

平成28年7月(2016年7月) 第38代東北方面総監・陸将

前職は陸上幕僚副長であった。

なお、東北方面総監としての指導方針は以下の通り。

【統 率 方 針】任務の完遂
【要 望 事 項】「備えよ」「改革せよ」「絆を深めよ」

2017年10月現在、東北方面総監を務める山之上だ。

第27期組のトップエリートとして、第1空挺団中隊長や第14普通科連隊長、第3師団副師団長、第1空挺団長、第8師団長と、2017年現在の我が国の安全保障環境にとって必要な現場経験を全て積み上げながら、出世ルートを駆け上がって来た陸将である。

現場を大事にする指揮統率スタイルから曹士からの信頼も厚く、自衛隊外部にもとてもファンの多い最高幹部だ。

なお、その27期組の「出世レース」だが、2017年8月、第35代陸上幕僚長・岡部俊哉(第25期)がいわゆる南スーダン日報隠蔽問題をめぐり引責辞任し、後任に山崎幸二(第27期)が着任したため、既に終了している。

本来であれば、同期が陸幕長に着任すれば、その同期は退職勧奨を受けるのが慣例だが、山之上は依然、東北方面総監職に在り続けている。

これについては特別の意味がありそうであり、詳しくは後述する。

山之上は、陸幕長に着任した山崎とともに切磋琢磨し、競い合ってきたライバルであった。

山崎は施設科の、山之上は普通科を代表する幹部として、常に1選抜(1番乗り)のスピード出世を最後まで続ける。

そして陸上幕僚長レースでは、最後の通過点となる方面総監に座ったのも、2人同時であった。

平成28年7月であり、山崎が北部方面総監、山之上が東北方面総監である。

この時に9割方、岡部の後任である第36代陸上幕僚長は山崎に決まったと言って良いだろう。

なぜか。

過去の人事の慣例から、東北方面総監は5つある方面総監の中でもっとも序列が低いとされ、過去に東北方面総監経験者から陸上幕僚長に着任した者は、長い陸自の歴史の中でも1名だけだからだ。

そしてその唯一の陸上幕僚長とは、第33代であった君塚栄治(第20期)。

本来であれば、第33代の陸幕長には君塚の同期であり、東部方面総監を務めていた関口泰一(第20期)が予定され、確実視されていた次期陸上幕僚長だった。

あるいは同じく、西部方面総監にあった木崎俊造(第20期)も可能性は0では無かったが、いずれにせよ君塚は、予定されていなかった陸上幕僚長着任であった。

ではなぜこの時、君塚が人事の慣例を破ってまで、第33代陸上幕僚長に昇格することになったのか。

それは2011年3月11日に発生した、あの痛ましい大災害となった、東日本大震災の影響による。

君塚は震災発生当時の東北方面総監であり、そして史上初の陸海空自衛隊を統率するJTF-TH(Joint Task Force – Tohoku:東北統合任務部隊)の指揮官に着任。

そしてこのポストにおいて、極めて見事な指揮を執る。

ほんの一例を挙げると、君塚は、北沢俊美防衛大臣(当時)から災派に出動するにあたり、以下のような命令を受ける。

「死体を発見した場合、生きている人と同じように丁寧に扱って下さい」

しかし君塚は、この言葉のまま下達すれば、北沢の思いが現場の曹士まで行き届かないと判断。

司令官の職責において、

「死体を発見した場合は、自分の身内と思って扱え」

と言い換えて下達する。

まさに用兵に熟達した司令官の機転と言うべきであろう。

防衛相の思いを、どちらがより実現する命令であるのかは明らかだ。

そしてこの君塚の思いを理解した10万人を超える自衛官の活躍については、多くの説明は要らないだろう。

まさに、自衛隊と国民が真に心を通わし、国民から揺るぎない信頼を勝ち取る活躍を見せ、武人らしい規律の高さを見せつけてくれた災害派遣となった。

これほどまでに見事な統率を見せられれば、慣例を考慮している場合ではない。

また、東日本震災からの速やかな復興を図る意味でも、君塚栄治の陸上幕僚長昇格は当然であった。

このようにして君塚は、第33代の陸上幕僚長に着任した。

このような事情で、史上初めて東北方面総監から陸幕長に昇格した君塚であったが、その死は余りにも突然であった。

2013年8月、震災復興に一定のめどをつけると、君塚は岩田清文(第23期)に陸幕長を引き継ぎ退任。

40年近くに渡り奉職した陸上自衛隊を去ったが、そのたった2年後、2015年12月28日に肺がんのため、わずか63歳でこの世を去る。

これほどまでに用兵に長け、人の心を掌握することに長けていた陸上幕僚長経験者が早逝するとは、まさに我が国の損失であり、痛恨の極みだ。

今はただ、君塚が生前果たした我が国の国防に対する活躍と、震災復興に対する貢献に思いを馳せ、そのご冥福を祈りたい。

そんな事情がある東北方面総監というポストだが、そのため山崎が北部方面総監に。

山之上が東北方面総監に着任した時に、27期組の陸幕長レースが決定したと言っても良い瞬間であった。

そして、山之上はこのまま東北方面総監を最後に退役・・・と思われるところだが、おそらく話はそうはならない。

さすがに、山崎の後任である陸幕長に山之上が着任することはあり得ないが、2018年3月に新設が予定されている陸上総隊。

その初代司令官に、山之上が着任することになる可能性が高いと、予想しているからだ。

陸上総隊は有事に際し、我が国に5つ存在する陸上自衛隊の方面隊を隷下に置き、その指揮を執る可能性がある組織だ。

その司令官は、平時においては方面総監と同格だが、防衛大臣の命令により、2つ以上の方面隊を指揮統率し、実質的な最高指揮官となる可能性がある存在である。

いわば、10数万人に及ぶ実力集団をその隷下に収める可能性がある、我が国で最大の軍組織単位を指揮する能力が求められる人物となる。

そして平時においても、中央即応連隊、第1空挺団、水陸機動団、特殊作戦群、第1ヘリコプター団等を始めとした精鋭部隊を直轄し、率いることが求められる。

恐らく2018年3月以降、陸上総隊司令官は、陸上自衛隊教育訓練研究本部長と並び、陸上幕僚長に着任するものが最後に通過するポストの一つになるだろう。

ではなぜそのポストに山之上が着任する可能性が高いと予想しているのか。

ひとつは極めて単純な理由であり、2017年10月現在で、山之上を除く方面総監5人のうち4人全員が28期組であり、なおかつ全員が2017年8月に着任したばかりだからだ。

着任半年でこれら4人のうち誰かが陸上総隊司令官に抜擢される可能性は0とは言わないが、そうなると28期組出世レースのバランスが崩れる。

これは陸海空に共通する特徴だが、通常同期の出世レースは幕僚長が決まるまで、誰かがリードしているという事はあっても、誰かが突き抜けているという状況は作られない。

常に切磋琢磨し、将官といえども、緊張感をもって職務に当たらせるためだろう。

そのため、28期組の中から陸上総隊司令官に誰かが着任すると、その時点で28期の人事に大きな差が付くことになる。

このような事情から、恐らく初代の陸上総隊司令官には陸上幕僚長の山崎と同期である27期組の山之上が着任し、そのまま2019年の夏まで27期組の体制で進むであろうと予想しているものだ。

一方で、そうなると東北方面総監のみが空位になり、29期組からの昇格者1名だけがそのポストに就く「突き抜け」が発生してしまう。

それもまた人事の慣例から考え辛く、その場合は北部方面総監の田浦正人(第28期)か、あるいは、西部方面総監の湯浅悟郎(第28期)が退役し、後任に29期組から、上尾秀樹(第29期)・防衛大学校幹事、高田克樹(第29期)・陸上幕僚副長、本松敬史(第29期)・統合幕僚副長などの陸幕長候補が昇格することになるかも知れない。

(※肩書はいずれも2017年10月現在。)

また別のパターンとしては、2018年3月の段階で28期組の陸幕長候補が実質的に1人に絞り込まれ、陸上総隊司令官に着任するという可能性もあるだろう。

このパターンであれば、初代の陸上総隊司令官は恐らく東部方面総監である住田和明(第28期)だ。

その場合、あるいは同じく2018年3月に発足する陸上自衛隊教育訓練研究本部長がその対抗馬になる事が考えられるが、初代本部長になるのはおそらく、同じ28期の岩谷要(第28期)だろう。

ただ岩谷の場合、28期組陸幕長候補としての可能性は高いとは言えないと予想しているので、やはり実質的に住田が突き抜ける事になってしまう。

このような状況を考え併せると、やはり山之上が初代の陸上総隊司令官に着任する可能性が高いと言ってよいだろう。

空挺団でのキャリア、政経中枢師団である第3師団副師団長、第1空挺団長、西方での第8師団長経験などを考えると、即応性が求められる陸上総隊の初代司令官として、山之上以上に適任の幹部はちょっと考えられない。

異例中の異例である「同期2人体制」となる人事だが、組織大改革の時期だけに見られる特例的なものであれば、不自然なことではないはずだ。

それが最も理にかなっているので、常識ではありえない人事だが、自信を持って予想としたい。

なお余談だが、山之上は第一空挺団長当時はこのように、かなりイケメンでマッチョであった。

平成22年当時の写真である。

男でも惚れる、男らしい男だ。

それが東北方面総監になると、最近の顔写真は、まるで悪の組織のトップのような怪しい顔立ちになってしまったような気がする。

特に東北方面隊の公式プロフィール画像は本当にイケてないので、広報カメラマンにはもう少し頑張ってほしい。。

とは言え、元々凛々しかった山之上の顔立ちがおかしな形で優しくなってしまった感もあり、偉くなると顔つきまで変わってしまうのであろうか・・・。

何れにせよ、山之上がさらに重要な職責を担うことになるのか、それとも東北方面総監を最後に退役となるのか。

個人的には山之上は大好きな将官の一人であり、ぜひ初代陸上総隊司令官に着任して、さらに活躍されることを期待している。

本記事は当初2017年6月13日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年10月に整理し、改めて公開した。

◆山之上哲郎(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
58年3月 防衛大学校(第27期・機械)卒(神奈川県・横須賀)
58年9月 第24普通科連隊(宮崎県・えびの)

平成
2年8月 富士学校(静岡県・富士)
3年8月 幹部学校第37期指揮幕僚課程(東京都・市ヶ谷)
5年8月 空挺教育隊(千葉県・習志野)
6年1月 3等陸佐
7年3月 第1空挺団普通科群中隊長(千葉県・習志野)
8年8月 陸上幕僚監部防衛部防衛課(東京都・檜町)
9年7月 2等陸佐
10年3月 陸上幕僚監部人事部人事計画課(東京都・檜町)
14年1月 1等陸佐
14年3月 米陸軍戦略大学(アメリカ合衆国)
15年7月 陸上自衛隊研究本部研究員(東京都・朝霞)
16年3月 陸上幕僚監部防衛部編成班長(東京都・市ヶ谷)
17年12月 第14普通科連隊長(石川県・金沢)
19年3月 陸上幕僚監部教育訓練計画課長(東京都・市ヶ谷)
20年8月 陸将補
21年3月 第3師団副師団長(兵庫県・千僧)
22年7月 第1空挺団長(千葉県・習志野)
24年7月 陸上幕僚監部教育訓練部長(東京都・市ヶ谷)
26年8月 第8師団長(熊本県・北熊本) 陸将
27年8月 陸上幕僚副長(東京都・市ヶ谷)
28年7月 東北方面総監(宮城県・仙台)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 東北方面隊公式Webサイト(顔写真及び演習画像)

http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/acg/mestow38.htm

http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/event/160707/38acg.htm

http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/17YS/17YS.htm

防衛省陸上自衛隊 第10師団公式Webサイト(南スーダン視察写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/unmiss/rikuhuku.htm

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