中川理(なかがわ・まこと)|第36期・第13特科隊長

中川理(なかがわ・まこと)は昭和44年9月30日生まれ、茨城県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第36期の卒業で幹候73期、職種は野戦特科だ。

平成31年3月(2019年3月) 第13特科隊長兼ねて日本原駐屯地司令・1等陸佐

前職は統合幕僚監部運用部運用第1課勤務であった。

なお、第13特科隊長兼ねて日本原駐屯地司令としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】
「一心協力」

【要望事項】

「創 意」

【駐屯地司令要望事項】

「明るく活気がある駐屯地」
「地域との一体化」

(画像提供:陸上自衛隊日本原駐屯地公式Webサイト

2020年3月現在、第13特科隊長兼ねて日本原駐屯地司令を務める中川だ。

中国地方の山間部、岡山県のもっとも内陸部に位置し、第13旅団隷下で唯一の野戦特科部隊となっている。

FH70・155mmりゅう弾砲を主力とする部隊で、「戦場の女神」と友軍から頼りにされる、陸上戦力になくてはならない戦力だ。

しかしながら、最初から残念なことを言うようで恐縮だが、野戦特科部隊の多くは2020年現在、もっとも予算がカットされ、部隊の縮小が続けられている職種になっている。

特に北海道以外の野戦特科部隊は、おそらくその全てが、いずれ方面隊直轄部隊1本に集約されることになるだろう。

第13特科隊も、一部部隊が日本原に残るとは思われるが、近い将来、中部方面特科隊の隷下部隊に集約されることになるのは確実な情勢だ。

この辺りのお話は折につけ触れてきたが、陸上自衛隊は現在、予算はどんどんカットされているにも関わらず、対応すべき驚異のレベルは年々上がり続けている。

さらに、少子高齢化で新隊員の採用もままならない時代に備える必要がある。

それでいて、「より精強な存在に」という国民からの付託にも、応え続けなければならない。

こんな無茶な要求に応えるためには、戦力を集中させ、機動力を向上し、まとまった一つの大きな戦力を、任意の場所に、迅速に投入できる組織へと生まれ変わる必要がある。

それが2018年3月から続いている「陸自大改革」であり、「特科戦力の1本化」だ。

野戦特科部隊が決して、戦場で軽んじられているわけではない。

むしろ野戦特科は、先述のように大陸国家では「戦場の女神」とも呼ばれるほどに、友軍から頼られ、愛される戦力である。

そして、その戦闘初期における制圧力・攻撃力もさることながら、実は敵性勢力からの攻撃を分析し、その企図を看破し、全軍を統率する指揮官に重要な意志決定の材料を提供する任務も担っている。

そのような意味からも、野戦特科部隊の重要性は今後も、いささかも変わることはないだろう。

ぜひ、形を変え部隊名が変わっても、野戦特科へのさらなる愛情を、皆さんには注ぎ続けてほしい。

さて、そんな特科部隊を率いる中川だ。

誇りあるポストに上番する幹部だけあって、その全てのキャリアが印象深いものばかりだが、敢えて上げるとすれば、それは平成24年6月(2012年6月)から務めたスーダン防衛駐在官の任務だろうか。

ご存知のように、防衛駐在官とは世界各国に所在する日本大使館に赴き、外務省の外交官に代わり、各国の武官と「軍人交流」の重要な役割を担う役職だ。

やはり職業外交官がどれほど優れていようとも、軍人相手の外交には、文官では限界がある。

その役割を補佐するために、自衛官が世界各国に赴いて軍事情報の収集や情勢分析、軍人との人脈を構築することになるのだが、注目すべきは中川が赴任していた国、スーダンだ。

多くの方には記憶に新しいかも知れないが、スーダンと言えば2011年に南スーダンが分離独立をするまで、激しい内線を戦っていた国である。

そしてその後、独立投票と独立以降の治安維持に関して、2012年から自衛隊が派遣されることになり、非常に過酷な5年間の部隊派遣を経験した。

そして中川が防衛駐在官として赴任していたのがまさに、その2012年6月からの3年間である。

逆に言えば、この極めて困難な情勢の中、隊員の安全と命を守り、現地政府との様々な交渉を任されるために、中川が選ばれたと言ってよいだろう。

まさに、防衛駐在官としてこれ以上はないほどに、日本の国益を護り、世界平和に貢献するための、非常に名誉ある、そして責任の重い仕事であった。

そして無事にその任務を完遂し、帰国を果たしている。

なお補足だが、2020年現在でスーダンには、専属での防衛駐在官の派遣はなされていない。

エチオピア、 スーダン、南スーダン、AU日本政府代表部を兼務して、たった1名、エチオピアに陸自の1佐が派遣されているのみだ。

また原則として防衛駐在官は1佐が派遣されるものだが、中川がスーダンに赴いた時は2佐である。

つまり、非常に困難な時期にあるスーダンに、特に予算が確保されて、2佐であった中川が派遣されたと理解してよいだろう。

それほどまでに、中川とは陸上自衛隊・日本政府から期待された存在であった。

ぜひ、中川のキャリアを知る上で、このような実績にも注目してほしいと願っている。

では、そんな中川とはこれまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする