あるドイツ軍人と自衛官-100年の時を超えた感動の交流秘話

さて、今日は少し、とっておきのお話をご紹介したいと思う。掲題のままで、あるドイツ軍人と自衛官の交流のお話だ。

ただ、その話を始める前に、前提となる、自衛官の仕事について初歩の知識からおさらいをしたい。

 

ご存知のように、自衛官のもっとも重要な任務は国防である。

有事の際には危険を顧みず任務を遂行し、また大規模災害などが発災した際には、国民を守る最後の砦として力を尽くしてくれることに多くの説明は要らないだろう。

近年多発する大規模災害の中で、自衛官が見せてくれた献身的な活動はもはや感動的ですらあった。

そしてその、愚直で真摯な姿は私たち国民の心を深く捉え、今や自衛隊と自衛官は多くの国民の心とともにある。

これも全て、ひとりひとりの自衛官が実直に任務に邁進し、厳しい任務に励んできた結果だと、その大きな「勝利」に心からの称賛を贈りたいと思う。

 

さてその上で、誤解を恐れずに申し上げると、自衛隊・自衛官にとってもっとも重要な仕事とは「戦うこと」ではない。

むしろ「戦わないこと」が、自衛隊に課せられた最大の任務であると言ってよいだろう。

どういうことか。

戦いとは常に、戦力バランスが崩れた時代に発生する。

そして戦力に優れた勢力が戦力に劣る勢力を攻めた際に得られる利益が、失われる利益よりも大きいと判断すれば、戦争は容易に起こり得る。

武力による領土の割譲など既に前世紀の価値観とみなされていた2014年、ロシアがクリミアに侵攻し、その領土を併合したことは多くの人の記憶に新しいだろう。

このように、戦争とは戦力バランスが不均衡になれば、人類がこれまで積み上げてきたモラルなど軽々と越えて、明日にでも起こり得る現実の驚異だ。

 

そして自衛隊とは、外征を目的とした組織ではなく、あくまでも専守防衛を目的として設計された戦力だ。

それについてはいろいろなご意見はあるとは思うが、現状そのような目的で設計され、組織され、運用されている。

つまり、日本の領土や領海、国民財産を守るため、敵性勢力から侵攻をさせないことがその最大の存在理由だ。

ではどうすれば、侵攻を阻止することができるか。

単純であり、方法は2つしかない。

・侵攻に利益がないと思わせること

・世界と仲良くすること

この2つを満たせば、まず日本は、少なくとも2国間戦争を選択せざるを得ないという事態は避けられる。

逆に言えば、自衛隊の任務とは具体的にこの2つを満たすことが、大きな仕事だと言えるだろう。

 

このうち、「侵攻に利益がないと思わせる」にはどうするか。

本筋ではないので極めて単純化してまとめてしまうが、「日本と戦争をしても勝てない」と思わせる、もしくは「得られる利益よりも被害(デメリット)のほうが大きい」と、敵性勢力に判断させることだ。

精強な部隊、練度の高い自衛官、厳しい訓練・・・

それらは全て、「あいつらと戦争をしたらただでは済まない」と思わせるために存在する。

一見矛盾していると思われるかも知れないが、「鍛え抜かれた日本刀」は、抜かないために佩剣しているということである。

「誰も傷つかないために」過酷な訓練を積み上げる。

それが、自衛隊と自衛官の本質であり、目的だ。

 

そしてここからが今日のお話の本題だが、2つ目の方法。

・世界と仲良くすること

も、実は自衛隊と自衛官にとって、とても重要な任務である。

「それは政治家や外交官の仕事ではないのか?」

と思われるかも知れないが、間違いだ。

そもそも世界には、まだまだ政治と軍事が一体化している国が多数あり、そのような国では軍人同士でしか意思の疎通を十分に図れないことも少なくない。

そしてそのために、自衛官は「防衛駐在官」と呼ばれる任務を与えられ、外務省に出向する形で世界中に赴任し、現地の軍人と「軍人交流」を重ねる。

このようにして、軍人同士はお互いの国の文化や考え方、価値観を相互理解し、政治家同士がボタンをかけちがえた際にも、平和を守る最後の砦として個人のパイプも駆使し、最後まで戦いを回避しようとする。

これもまた、戦争という前世紀の「問題解決の手段」を行使しないために、人類がたどり着いた叡智の一つだ。

 

前置きが長くなってしまったが、ここからが本題だ。

管理人(私)は、こんなサイトを運営しているのでおそらく日本一、mod(防衛省Webサイト)を隅々まで見ているのではないだろうか、という自負がある(笑)

ツイッターやフェイスブックで、防衛省関連の新着を見ているだけで、下手をしたら一日が終わる。

たまーに、明らかにおかしな記述や間違った説明がある際に、

「間違ってますよ~」

と、名前やメールアドレスも素直に書き込んで送るのだが、これまで返事があったのは陸自第8師団の広報さんだけであった。

だいたい、コッソリと表記を修正して何のお返事も頂けないのが少し悲しいのである(泣)

 

そんな中、私は去年の冬から、海上自衛隊幹部学校のある記事に注目していた。

第一次世界大戦で日本の捕虜となり、日本で命を落としたあるドイツ軍人のお話である。

そのドイツ軍人の名は、ユリウス・パウル・キーゼヴェッター・ドイツ軍・後備海軍歩兵。

お亡くなりになったのは1917年5月9日で、病死であり、場所は大分市の捕虜収容所というのでもう100年以上前の話だ。

 

第一次世界大戦においては、たしかに日本とドイツは敵同士であった。

しかしながら第一次世界大戦は、欧州の陸戦がメインである。

日本は大きな戦いには参戦していないが、当時ドイツ領であったチンタオ(青島)を攻め攻略しているので、その際に捕虜になったようだ。

しかしながら、凄惨な戦闘などを経験していないこともあり、ドイツ捕虜に対する日本の扱いは極めて穏当で、捕虜収容所があった各地には、地元住民と捕虜との交流の記録すら多く残されている。

そんなこともあり、日本で病死したドイツ軍人、J・キーゼヴェッター氏は、その死後に陸軍墓地に非常に手厚く埋葬された。

画像を見て頂ければわかると思うが、日本の軍人と同様に、戦争で命を落とされた名誉ある武人として遇され、その御霊を慰める扱いを受け、異国の地で長い眠りについた。

(画像提供:海上自衛隊幹部学校公式Webサイト

これだけならまだ、正直よくある話かもしれない。

しかしこの話がここで終わらないのは、この地に眠るJ・キーゼヴェッター氏の子孫が、まさに2019年12月現在の、在日本ドイツ武官であると言うことである。

そのドイツ武官の名前は、カーステン・キーゼヴェッター大佐(Karsten Kiesewetter)という。

駐在武官は、日本で言う防衛駐在官であり、国を代表して軍人交流を行う責任者だ。

その国との軍人交流を取りまとめ、いわばドイツ軍と自衛隊の交流の架け橋と言ってもよいだろう。

つまり、キーゼヴェッター大佐の心証一つで、日独両国の防衛交流は前進もすれば、後退もするということである。

そんな中、キーゼヴェッター大佐は2019年12月、長年の念願であった、祖先の墓参をついに果たした。

(画像提供:海上自衛隊幹部学校公式Webサイト

この墓参に同行をしたのは、本名龍児・1海佐(海幹校・戦史統率研究室)と長野晋作1海佐(海幕装備需品課資材班長)の2名。

場所は大分の「桜ケ丘聖地」(大分陸軍墓地)であり、日清日露の戦い以降、国難に殉じられた陸軍軍人が静かに眠る聖地である。

そこに、カーステン・キーゼヴェッター大佐の祖先であり、日本で命を落とされたJ・キーゼヴェッター氏が、今も静かに眠っている。

 

そして、記事にはこのように書き添えられている。

祖国から約6000km離れた大分に1人眠る親族を、100年以上も気にかけ続けた同一族の祈りは、この日のキーゼヴェッター大佐の墓参によって遂に大分に届くこととなった。

記事自体は、防衛省の公式Webサイトに掲載されている記事でもあり、非常に淡々としたものだ。

感動を演出するでもなく、贅肉のない非常に防衛省らしい、実質的なものになっている。

 

しかし私には、行間から見える関係者の思いや、アテンドした本名・長野両1佐の思いが透けて見える気がする。

それは、捕虜として命を落とした、J・キーゼヴェッター氏を名誉ある武人として遇し、名誉ある陸軍軍人としてこの「聖地」に埋葬した、先人への感謝だ。

想像して欲しいのだが、もし私達がなにかの仕事で海外に赴任した場合。

自分たちの祖先が捕虜として命を落とした場所を訪れてみたら、同国の名誉ある殉職者と共に最高の礼遇で埋葬されているのを目にしたら、どのように思うだろう。

ただそれだけで、その国のことが大好きになれるような気がしないだろうか。

そして、そのような文化を持つ国に対し、心からの敬意を感じないだろうか。

 

そういった意味でJ・キーゼヴェッター氏のお墓は、この100年の時を超えた今もなお、私たちの誇りある先人の遺産として、キーゼヴェッター大佐の心を捉えたはずだ。

そしてキーゼヴェッター大佐はきっと、一生この日の墓参を忘れることはないだろう。

そして、本名・長野両1海佐との交流を続けながら、日本との平和的な軍事交流に生涯をかけて尽力してくれるのではないだろうか。

「軍人外交」とはこのように、世界の平和を守る上で、誰の目にも止まらないところで静かに行われている。

 

おそらく、防衛省の片隅にあるこんな目立たない記事など、誰も知らないだろう。

本名・長野両1海佐のお名前も、キーゼヴェッター大佐の名前なども、日本・ドイツ両国の一般国民は誰ひとり知らないに違いない。

しかしながら、戦いを避け、平和を守る大きな力となるのは、このような小さな活動の一つ一つの積み上げそのものだ。

そういった意味で、この記事は本当に一人でも多くの方に読んでもらいたい記事であった。

ぜひ1人でも多くの人に、防衛省の元記事に、アクセスしてもらいたいと願っている。

 

元記事

大分に眠るドイツ海軍兵への墓参~ 青島の戦いを振り返る ~

https://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/topics-column/col-149.html

 

なお、この本名1佐の記事は、よほどインパクトがあったのだろう。

この記事をエゴサ(エゴサーチ)してたどり着いたのだが、大分県も記事を作成し、動画まで作成するほど、ちょっとした動きになっているようだ。

大分県桜ヶ丘聖地(旧陸軍墓地)にあるドイツ人の墓碑について~100年の時を超えた墓参~

 

もしかして、そのうち映画化されるような、感動的な話になるのかも知れない・・・。

 

なお余談だが、この記事は海上自衛隊幹部学校の「戦略研究会」の名前でリリースされている。

その責任者は、幹部学校副校長の大町克士(第34期)・海将補だ。

ご存知のように、海自の50代を代表するイケメンの1人である。

そして海上自衛隊幹部学校の副校長ほど、不思議なポストはない。

「残念なことで異動になった人」が着任したり、1選抜将官が着任したり、それでいて「副校長」という、おそらく自ら何もしなければ、暇そうなポストでもある。

しかし、大町のような1選抜将補が着任したりする。

 

なお大町は、「なにわのイケイケ兄ちゃん」こと、福田達也(第34期)と並び、6年後あたりの、海上幕僚長候補の1人でもあるほどの幹部だ。

34期では「海の福田、空の大町」と評されるほど、非常に充実したキャリアを誇る幹部だが、大町が着任してからというもの、「戦略研究会」の動きが明らかに活発になっている。

この辺りにも、指揮官が交代すれば組織の動きが明らかに変わるという実例が垣間見えるようだ。

また、今回ご紹介した記事を作成した本名龍児・1海佐だが、幹部学校に異動になった後、すごい勢いで記事を量産している・・・。

 

海上自衛隊幹部学校 トピックス・コラム

https://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/column.html

 

もしかして、副校長さんに鬼詰めされているのだろうか・・・(汗)

(了)

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