吉浦健志(よしうら・たけし)は昭和42年10月25日生まれ、山口県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第34期の卒業で幹候71期、職種は飛行であり回転翼機の操縦士だ。
平成30年3月(2018年3月) 東部方面航空隊長兼ねて立川駐屯地司令・1等陸佐
前職は研究本部主任研究開発官であった。
(画像提供:陸上自衛隊立川駐屯地公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊立川駐屯地公式Webサイト)
2019年3月現在、首都圏の治安を空から護る、東部方面航空隊長を務める吉浦だ。
東部方面航空隊は立川にその司令部を置き、主力対戦車ヘリコプター隊は木更津に駐屯する東部方面隊直下の航空隊である。
木更津駐屯地には、言わずと知れた陸自の空の精鋭部隊・第1ヘリコプター団が所在しており、連携しながら任務にあたる。
吉浦自身も、帯広に所在する第1対戦車ヘリコプター隊で指揮を執った経験があるなど、現場経験が豊富なパイロットだ。
これほどの要職を任される吉浦のことである。
そのキャリアはどれも印象深いものばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば2等陸佐時代に経験した、第16次ゴラン高原派遣輸送隊の隊長ポストであろうか。
なお、このゴラン高原派遣輸送隊とは国連PKO活動の一環であり、シリアとイスラエルの停戦を担保するために国連が両者の間に割って入り、紛争を仲裁しようとするものだ。
自衛隊は直接戦闘行為に参加することができないので、この際の任務は後方支援となるが、特に吉浦が担ったのは後方での輸送業務であった。
具体的には、
・各宿営地や港湾・空港間における国連軍物資の輸送業務
・輸送に必要となる道路など各種インフラの整備及び補修
・山岳地帯における除雪作業
・その他、UNDOF(国連兵力引き離し監視隊)の活動に必要な後方支援業務
といったところだが、もちろん一般に想像される平時での輸送及び土木工事と言った生ぬるいものではない。
そもそもが、イスラエルと中東諸国が、国連軍が間に入らないと戦争を始めるような地域のど真ん中である。
その任務は非常な危険が伴うだけでなく、山岳地帯では2800m級の道路で除雪作業を行うなど、非常な困難を極めた。
治安だけでなく、自然環境にも命の危険を晒す非常に厳しい任務に、私達の自衛隊は赴いていたわけだが、この国際貢献活動は、本当にもっと特筆されるべきもののはずだ。
実際に、平成25年にこの任務が打ち切られ、撤収が決まった際の理由は、治安の悪化による。
このような厳しい任務に対して、吉浦は人事担当者から打診を受けると、
「元々、国連平和維持活動(PKO)への参加を希望していた」
ということもあり自ら志願。
面接や選考を経て隊長を任されることが決まり、平成15年8月から16年3月まで約6ヶ月間をこの名誉あるポストで過ごした。
一般にはほとんど知られていないようであり、残念でならないが、自衛隊は中東地域の平和と発展のためにも、このような非常に危険な任務を担い、そして着実に成果を挙げていた。
そしてその影にはこのような、世界の平和と発展のために役に立ちたいと熱く願う、我が国の幹部曹士の活躍があった。
ぜひ、一人でも多くの人に改めて、このような歴史を知ってもらえれば嬉しく思う。
では、そんな要職を歴任してきた吉浦とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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