菅野隆(かんの・りゅう)は昭和40年生まれ、愛媛県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第33期の卒業で幹候70期、職種は普通科だ。
平成30年3月(2018年3月) 陸上自衛隊教育訓練研究本部研究員・1等陸佐
前職は部隊訓練評価隊長であった。
(画像提供:内閣府PKO事務局公式Webサイト)
2019年7月現在、陸上自衛隊教育訓練研究本部で研究員を務める菅野だ。
教育訓練研究本部は、2018年3月の陸自大改革で陸上自衛隊研究本部の機能を増強・発展させる形で新設された組織であり、陸自の教育と訓練の中枢とも言える重要な役割を果たす。
その組織で研究員として務める菅野だが、その経歴は非常に充実しており、また我が国と世界の平和のために尽力をし続けてきた、非常に印象深い自衛官の一人である。
その活躍はいずれも印象的な補職ばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、それは平成23年4月から務めた第35普通科連隊長のポストだろうか。
直前まで、陸幕防衛部で情報通信・研究課の総括班長の要職にあった菅野だが、東日本大震災発生の直後となる23年4月に、守山の第35普連長に着任。
震災当日から、特に被害の大きかった宮城県名取市に入り活動を続けていた同部隊を引き継ぎ、過酷な現場にあって最前線で指揮にあたった。
この際の、自衛隊の人命救助や復興支援に関する献身的な活躍は、もはや多くの言葉は必要ないだろう。
35普連の活躍だけで見ても、多くの隊員がほとんど休憩もせず、十分な食事も摂らないままで活動を続けた。
さらにそれだけではなく、隊員からの寄付を募り、35普連の地元である名古屋名物のういろうやきしめんを4000食分、被災地に送ったそうだ。
また菅野も、被災地に立ち続けている間、毎日お線香を上げ犠牲者のご冥福をお祈りしてからら一日を始め、一日を終えていた。
これほどまでに、物心全てで国民のために力を尽くしてくれる組織が、我が国に他にあるだろうか。
その活躍は多くの国民の心を打ち、必ず震災から復興できるという大きな自信を与えてくれたが、菅野もまた、その厳しい現場で力を尽くした指揮官の一人であった。
日本に自衛隊という組織がいてくれて、本当に良かった。
どれほど理不尽な扱いをされても、心無い誹謗中傷に晒されても心折れず、強靭な心身で有事に備えていた自衛隊がいてくれたからこそ、日本はこれほどの震災からもまた立ち上がることができた。
私たち国民も改めて、国防というものを真剣に考え、国民の一人ひとりがそれぞれの立場で、国のために貢献できることは何なのか。
自衛隊に甘えるばかりでなく、しっかりと考えなくてはならないのではないだろうか。
では、そんな過酷な任務に赴き、献身的な活躍を見せた菅野とは、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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