鵜居正行(うい・まさゆき)|第31期・陸上自衛隊

鵜居正行は昭和39年7月生まれ、愛知県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第31期の卒業で幹候68期、出身職種は判明しないものの、そのキャリアから考えて施設科と思われる。

平成29年12月(2017年12月) 防衛装備庁プロジェクト管理部プロジェクト管理総括官・陸将補

前職は第3施設団長兼ねて南恵庭駐屯地司令であった。

2018年1月現在で、防衛装備庁プロジェクト管理部プロジェクト管理総括官を務める鵜居だ。

防衛装備庁プロジェクト管理部は、以前細分化されていた防衛装備品の取扱いに関する部署を一元的に統合した部署であり、その陸上担当の統括官ということになる。

主な仕事は、防衛装備品の研究開発や調達等について、構想段階から廃棄までを通じてより良い計画を立案し、調整をしていくポストだ。

研究開発や装備系の要職を歴任してきた鵜居にとって、極めて適任のポストであると言って良いだろう。

しかし鵜居の場合、そのキャリアで最も目立つのはやはり前職であった、第3施設団長の補職だ。

いろいろな意味で、中期防(中期防衛力整備計画)2005は、悲惨と言ってもよいほどに間違えたものであった。

長期的な視点を欠き、近視眼的な予算緊縮で陸上自衛隊から多くの部隊や装備が失われたが、この際に廃止計画に載せられたものの一つが第3施設団であった。

そして実際に2008年、第3施設団は廃止の上、北部方面施設隊へと縮小されることになる。

しかし、我が国最大の方面隊で、広大で恵まれた演習場を持つ北部方面隊隷下にあり、施設団が施設隊規模である合理的な理由は一切見当たらない。

結局、わずか9年後である2017年3月に北部方面施設隊は再び施設団へと昇格。

近視眼的な予算縮小政策は直ちに改められ、第3施設団の復活を見ることになった。

そして鵜居は、この際の最後の北部方面施設隊長であり、新生となった初代第3施設団長ということになる。

なお、中期防2005では、当時6つ存在していた地対艦ミサイル連隊を半減させる方針も打ち出され、実際に宇都宮に所在していた第6地対艦ミサイル連隊が廃止されてしまったが、我が国の離島防衛に地対艦ミサイル部隊は極めて有効で有用だ。

特に、最新の12式地対艦誘導弾の能力は極めて高く、石垣島や宮古島に配備をすることで、中国人民解放軍の動きを第1列島線の内側に封じ込めるほどに、インパクトの在る装備である。

このような現実を受け、地対艦ミサイル連隊は半減どころか、2018年1月現在では装備・部隊ともに増強方針に180度の政策転換が行われている。

予算が厳しい財務省の方針であったとは言え、中期防2005は極めて問題の多いものであった。

ちなみにこの際、財務省において防衛予算を担当する主計局主計官を務めていたのは、現参議院議員の片山さつき氏。

組織の中での役割であり、個人のイニシアティブでどの程度の主導を行ったのかは明らかではないが、結果として中期防2005に於ける防衛費予算編成の主導的役割を担ったという評価を受けてもやむを得ないだろう。

ご本人は、「旧態的な装備」である特科や機甲科から予算を付け替えただけだ、という弁明をしたという趣旨の記事を見掛けるが、地対艦ミサイル連隊はその特科(野戦特科)である。

第3施設団の廃止も、本当に予算を削る場所であったのか極めて疑問だ(だからこそ、早々に復活したわけだが)。

特科も機甲科も、その存在自体が抑止力として極めて有効で重要な、存在感の大きい兵科であることは言うまでもない。

予算ありきは理解できるが、削減するべき場所の見極めには中長期的な視点を持ち、臨むべきだったのではないだろうか。

なお鵜居は、防衛大学校第31期。

第31期は、2018年夏の将官人事で最初の陸将が選抜される年次にあたる。

その為、陸将補が同期の出世頭だ。

鵜居については、1等陸佐に昇ったのが平成18年7月であり、陸将補に昇ったのが29年3月なので、さすがに平成30年夏の将官人事で、1選抜での陸将昇任は想定できない。

当面の間、1等陸佐に11年あった豊富な現場経験を活かした補職を歴任していくことになるだろう。

なお、その31期にあって、陸将補の階級に在るものは2018年1月現在で以下のようになっている。

沖邑佳彦(第31期)・陸上幕僚監部運用支援・訓練部長(2012年7月)

竹本竜司(第31期)・第11旅団長(2012年7月)

前田忠男(第31期)・陸上幕僚監部防衛部長(2012年7月)

原田智総(第31期)・第15旅団長(2012年7月)

蛭川利幸(第31期)・中部方面総監部幕僚長(2013年3月)

中野義久(第31期)・東部方面総監部幕僚長兼ねて朝霞駐屯地司令(2013年8月)

亀山慎二(第31期)・中央情報隊長(2013年12月)

小和瀬一(第31期相当)・陸上幕僚監部監察官(2014年3月)

藤岡登志樹(第31期)・陸上自衛隊富士学校副校長(2014年8月)

眞弓康次(第31期)・陸上自衛隊武器学校長兼土浦駐屯地司令(2015年2月)

片岡義博(第31期)・第1特科団長兼ねて北千歳駐屯地指令(2015年7月)

吉野俊二(第31期)・陸上自衛隊化学学校長兼大宮駐屯地司令(2015年12月)

森脇良尚(第31期)・第2師団副師団長(2016年12月)

鵜居正行(第31期)・防衛装備庁プロジェクト管理部プロジェクト管理総括官(2017年3月)

野村悟(第31期)・中央即応集団副司令官(2017年3月)

※肩書はいずれも2018年1月現在。( )は陸将補昇任時期。

31期組では、1選抜陸将補であった沖邑、竹本、前田、原田の4名を中心に、最初の陸将が選抜されることになるはずだ。

そして師団長相当職に補職され、極めて近い将来の陸上幕僚長候補として活躍していくことになるだろう。

31期組は、陸将補に在るものが15名であり、この先5年ほどの国防を中心になっていくことになる世代にあたる。

そしてその一人であり、装備研究のエキスパートである鵜居。

その活躍には今後も注目し、応援していきたい。

本記事は当初2017年8月21日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年1月10日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年8月に公開した当時のものをそのまま残している。

第3施設団の再昇格については、あるいは東日本大震災の影響ということもあるかもしれない。

あの震災に災派(災害派遣)で出動した施設科の高級幹部は、概ね同じような感想を語っているのが、その内容はざっと、

・震災以前、ほとんどの災害は自衛隊の能力で対処できると考えていたが、あの震災はそのような規模ではなかった

・津波が運んだ瓦礫などが町を埋め尽くし、施設科の持つ重機でも道を拓くことができず、迅速な救助活動に入ることが難しかった

・同規模の災害に備え、民間とも協力しその保有重機も活用しながら、新たな災派の仕組みを作る必要がある

といったところだ。

災派においては、やはり機械力に優れる施設科が果たす役割は大きく、また人命救助のみならず、瓦礫の撤去やインフラの再整備でもその中心になるのはやはり施設科になる。

そのような意味で、施設科が縮小傾向にあった時代に東日本震災が発生してしまったのは極めて不幸なことであったが、その教訓を活かし、震災時における施設科の在り方を改めて考えるのが、今の時代の施設団の役割だ。

我が国最大の施設団を率いる鵜居が、第3施設団のみならず施設科そのもののあり方について、新しい歴史を作っていくことになるだろう。

変革期にある中で施設科がどのようにその役割を変えていくのか。

鵜居の活躍には注目し、応援していきたい。

◆鵜居正行(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
62年3月 陸上自衛隊入隊(第31期)

平成
10年1月 3等陸佐
13年7月 2等陸佐
18年7月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練計画課 1等陸佐
18年8月 幹部学校付
19年8月 陸上自衛隊研究本部企画調整官
20年4月 陸上幕僚監部装備部開発課総括班長
21年8月 自衛隊富山地方協力本部長
23年8月 陸上幕僚監部人事部募集・援護課募集・援護調整官
25年8月 西部方面総監部総務部長
27年4月 北部方面施設隊長兼ねて南恵庭駐屯地司令
29年3月 第3施設団長兼ねて南恵庭駐屯地司令 陸将補
29年12月 防衛装備庁プロジェクト管理部プロジェクト管理総括官

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第3施設団公式Webサイト(顔写真及び団旗授与式)

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/katudou/sonota/3E/3.htm

防衛省陸上自衛隊 第14施設群公式Webサイト(訓示画像)

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/unit/butai/kamifu_station/topics/d_topics/d_39/d_topics39.html

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