久保健昭|第34期・海上自衛隊

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久保健昭は防衛大学校第34期(土木工学)の卒業、幹候41期の海上自衛官。

生年月日は判明しないが、公式Webサイトには50歳という記載があることから、ストレートの入学で昭和42年度の生まれであると思われる。

 

平成28年12月(2016年12月) 第3護衛隊司令・1等海佐

前職は統合幕僚監部指揮通信システム企画課サイバー企画室長であった。

 

さて2017年10月現在の話だが、もっとも戦力が充実している護衛隊を1つ挙げるとすれば、必ずその上位に名前を挙げる人が多いであろう、第3護衛隊を率いている久保だ。

第3護衛隊は、第7護衛隊とともに第3護衛隊群を組織しており、京都の舞鶴を母港とする艦隊である。

第3護衛隊の隷下には

・ひゅうが

・みょうこう

・あたご

・ふゆづき

と、非常に強力な護衛艦が配置されており、文字通り国防の最前線で、北朝鮮からの弾道ミサイル対応はもちろん、日本海を航行する不審な艦船にも目を向けている。

 

なおこのうち、みょうこうとあたごはいわゆるイージス艦であり、我が国のBMD(弾道ミサイル防衛)構想の中核をなす護衛艦であって、24時間365日体制で北朝鮮から発射されるミサイルを常に補足し続けている、まさに我が国を守る楯である。

 

ひゅうがは2009年に就航したばかりの最新鋭DDH(ヘリ搭載型護衛艦)であり、ふゆづきは2014年に就役したばかりの最新鋭汎用型DD(護衛艦)であって、まさに我が国を代表するイージス艦や最新鋭艦が第3護衛隊に集められていることになる。

その指揮を任される久保の双肩には、まさに我が国の平和と安全が託されているとも言えるだろう。

 

なおその久保だが、艦長は3000トンクラスの汎用護衛艦はまゆきで経験。

その後外務事務官(防衛駐在官)としてイタリアに渡り、3年間の軍人外交をこなした経験を持つ。

さらに帰国後は、統幕においてサイバー企画室長を務めるなど多方面に才能を発揮し、非常に充実した経歴を持つ1等海佐である。

そしてこれらポストを歴任し、その全てで期待に応え続けてきた結果、第3護衛隊司令という我が国の要をなす要職への着任となった。

 

なお久保を巡っては、2008年にはまゆき艦長であった時代に、ベトナムのホーチミン港でカンボジア船籍の貨物船と接触する事故を経験しているが、この時国内メディアの幾つかは、

「海自護衛艦が入港作業中、貨物船と接触」

という趣旨で報じた。

記事の印象は、港に入ろうとした護衛艦が操艦を誤り貨物船に衝突したと受け取れる内容であったが、その実態は港のタグボートに曳航されている最中のものであった。

このような場合、艦長が無過失となるのかについては知識が不足しており、久保の責任所在について言及するつもりはないが、少なくともメディアには、状況を正確に伝えて欲しいと、相変わらずだが酷い報道ぶりにはうんざりする思いだ。

 

なお事故そのものは、タグボートで移動中のものであったこともあり、貨物船の塗装が剥がれた程度のものであったことは正確に伝えたメディアが多かった。

 

 

さて、この舞鶴と第3護衛群、第3護衛隊の重要性は先述の通り、まさに我が国の要とも言うべき戦力だが、その舞鶴に、衆議院議員選挙を直前に控えた安倍総理大臣が、2017年9月30日に電撃訪問するという出来事があった。

上記の画像は、その時の模様を撮影した海上自衛隊のyoutube公式チャンネルからのものだ。

場所はみょうこうの艦上。

北朝鮮からの弾道ミサイル対応の為、24時間365日体制で任務に励む乗組員を激励するために訪れたものだが、この際の訓示の内容もまた、舞鶴地方隊の幹部曹士がいかに我が国の防衛にとって重要な存在であるか。厳しい自然環境の日本海海上にあって、任務に励む自衛隊員を国民がどれだけ誇りに思っているか。

短くシンプルだが、非常に心打たれる内容であった。

 

なお、恐らくこの際、上記画像奥で安倍を出迎えているのは舞鶴地方総監の菊地聡(第28期)、さらに手前で安倍を先導しようとしているのはみょうこう艦長の能勢毅ではないだろうか。

階級章が一致し、顔立ちが似ているので恐らく間違いないと思われる。

他にも、将官級や1佐級の階級章を付けてるように見える自衛官が多数見えるが、さすがにえらい騒ぎである。

予定された来訪であるならまだしも、総理の電撃訪問なのだから、舞鶴地方隊も大騒ぎになったのではないだろうか。

(それにしても、この時にミサイルを撃たれたらみょうこうは対応可能なのだろうか・・・)

 

2017年10月現在、我が国の海上勢力においてもっとも臨戦態勢で稼働しているのは、おそらくこの第3護衛群であり、そしてその隷下にある第3護衛隊、久保以下の幹部曹士であろう。

一時たりとも気を抜けない厳しい任務を任されるのは、自衛隊内での期待が高いからであり、また国民の期待もその双肩にかかっていると言える。

舞鶴ではこの瞬間も、久保健昭以下、幹部曹士が緊張感を持って任務にあたっていることを、一人でも多くの人に知って貰えれば幸いだ。

 

◆久保健昭(海上自衛隊) 主要経歴

平成
2年3月 海上自衛隊入隊(第34期)
19年3月 はまゆき艦長
21年6月 外務事務官(イタリア)
24年12月 海上幕僚監部総務課渉外班長
25年11月 練習艦隊司令部首席幕僚
27年2月 統合幕僚監部指揮通信システム企画課サイバー企画室長
28年12月 第3護衛隊司令

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 第3護衛隊公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/ccf3/gre/c3ed/index.html

防衛省海上自衛隊 youtube公式Webサイト(安倍総理みょうこう来訪画像)

https://www.youtube.com/channel/UCqcufnRichGBohzClI3DalA

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