野村悟(のむら・さとる)は昭和40年3月生まれ、岐阜県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第31期の卒業で幹候68期、出身職種は普通科だ。
平成30年3月(2018年3月) 陸上総隊司令部日米共同部長・陸将補
前職は中央即応集団副司令官(国際担当)であった。
(画像提供:陸上自衛隊第2師団公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊陸上総隊公式ツイッター)
2019年9月現在、陸上総隊司令部日米共同部長を務める野村だ。
2018年3月にCRF(中央即応集団)を発展的に廃止し、新たに設置された陸上総隊の要職に、そのまま横滑りした形で現職に着任している。
前職はCRFでの副司令官(国際担当)であったが、そういった意味ではより日米関係にフォーカスをした任務の責任者ということになる。
その野村だが、もちろん将官でもあり、31期組トップエリートの一人であることに間違いないのだが、それだけではない非常に特別な存在感を持っている。
それは、日米同盟を基軸にした、国際関係を専門に扱うエキスパートであるということだ。
上記画像2枚めは、陸上総隊司令部において、当時司令官であった住田和明(第28期)と打ち合わせをする、米太平洋陸軍副司令官のロジャー・ノーブル少将。
野村は向かって右側の奥、ロジャー・ノーブル少将の手前に座っているが、陸上総隊が関わる諸外国との「軍人外交」では、野村の姿を見かけないことがほとんどない。
直近では、2018年9月から行われていた米比共同訓練に陸上総隊隷下の水陸機動団も80名規模で参加していたが、この際にも司令部要員として随行している。
また2017年には、在日米陸軍主催のCo-Op (隊付き訓練)Programの卒業生として自衛隊史上2人目となる 、Hall of Fame(名誉卒業生)としても表彰されるなど、活躍が非常に顕著だ。
またこれまでのキャリアを振り返っても、国際色が極めて豊かな活躍が目立つ。
高い人間力と優れた人格で、陸上自衛隊の価値観と矜持を体現する将官として、その存在感は非常に大きいものとなっているのが印象的だ。
恐らく、尖閣諸島を中心とした島しょ部有事が発生した際には、日米同盟を実務的に動かし、在日米軍に出動の決心をさせることが可能な将官がいるとすれば、それは野村に他ならないだろう。
逆に言えば、野村が陸上総隊司令部で要職にあり、我が国の平和と安全をグリップするポジションにある限り、それ自体が強力な抑止力となり、中国人民解放軍も軽率な行動を採ることはできないということだ。
陸上自衛隊には、こんな隠れた(全然隠れてないが)凄いキーマンがいることも、ぜひ知っておいて欲しいと願う。
なお余談だが、管理人(私)は、野村と親しくお付き合いをされている何人かの自衛官・元自衛官の方と直接お話をしたことが何度かあるが、皆さん口をそろえて言うのは、
「野村将補は本当に凄い」
「私が幹部自衛官の中でもっとも尊敬する、能力も人格も極めて優れた方です」
というような、野村に対する手放しでの敬意の声だ。
並大抵ではないエリートでありながら、多くの幹部曹士からも慕われ、尊敬を集める最高幹部というのはどんな人なのか。
ぜひ、何かの講演会などがあれば潜り込みたいと、密かに狙っている次第である。
では、我が国と世界の平和を護る上で大きなキーマンの一人とも言うべき野村とは、これまで一体どのようなキャリアを歩んできたのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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