山﨑誠一(やまさき・せいいち)は昭和42年11月14日生まれ、佐賀県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第35期の卒業で幹候72期、職種は野戦特科だ。
平成30年3月(2018年3月) 自衛隊旭川地方協力本部長・1等陸佐
前職は陸上幕僚監部人事教育部厚生課給与室長であった。
なお、直近の職種部隊長である第4特科群長であった頃の指導方針は以下の通り。
【統率方針】任務完遂
【要望事項】自ら考え積極的に行動せよ
(画像提供:第1特科団公式Webサイト)
(画像提供:第1特科団公式Webサイト)
2019年3月現在、自衛隊旭川地方協力本部長を務める山﨑だ。
全国的にも珍しく、というよりも恐らくここ旭川だけではないだろうか。
実は旭川地方協力本部の庁舎正面玄関から道路を挟んで向かい側には、北海道護国神社がそのお社を構える。
ご存知のように、護国神社は郷土の英霊をお祀りする神社であり、原則として各都道府県に1社建立されている。
しかしここ北海道だけは、さすがに全道で1社では少なすぎたのだろう。
札幌護国神社、函館護国神社と併せ3社も建立されているのだが、そんな中、北海道の名を冠する護国神社はここ、旭川の地に鎮座する。
そして北海道出身者の英霊をお祀りし、今も多くの人々の尊崇の念を集めている。
旭川地方協力本部も本当に大変だ・・・
なんせ、毎日出勤する時、勤務中、退庁時と、護国のお社に見守られてるのだから。。
ところでなぜ、北海道を代表する護国神社がここ旭川となったのだろうか。
ご存知のように現在、旭川には「北鎮師団」の尊称を持つ第2師団司令部が駐屯するが、同様に戦前も、日本陸軍の北の守りの要・陸軍第7師団が駐屯していた。
日露戦争においては旅順攻略戦に参加しその陥落に大いに貢献し、また奉天会戦に転じても大いに活躍するなど、武勇で知られた最精鋭部隊だ。
戦前も戦後も、北海道民のみならず、我が国の誇りとも言える北の防人たちが駐屯する都市として知られている。
おそらく、そんなこともあるのではないだろうか。
我が国最北端の精鋭部隊と言えば伝統的に旭川というイメージが強く、”北海道”の名前を冠
る護国神社がここ、旭川の地に建立されたのだと思われる。
そして旭川地方協力本部庁舎のすぐ横、旭川駐屯地には、当時を偲ぶ北鎮記念館が整備され、先人たちの活躍を偲ぶことができる。
早い話が、北海道に数ある地方協力本部の中でも、その立地や歴史と併せ、やはり旭川は特別な意味合いがある存在ということだ。
そのトップたる本部長職に任命されることも、非常な名誉であり、山﨑自身、このポストを任された時にはさらに想いを強くしたのではないだろうか。
そしてそのポジションにありながら、現在も活躍を続けている。
では、そんな要衝の地で要職を任される山﨑とはどんなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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