今城弘治(いまき・こうじ)は昭和40年12月5日生まれ、和歌山県出身の航空自衛官。
防衛大学校第33期の卒業で幹候79期、出身職種は飛行でF-2戦闘機のパイロットだ。
平成29年8月(2017年8月) 航空総隊司令部防衛部長・空将補
前職は第3航空団司令であった。
(画像提供:航空自衛隊三沢基地公式Webサイト 広報みさわ438号)
(画像提供:首相官邸公式Webサイト 総理大臣メルマガより)
航空自衛隊を代表するイケメンの一人であり、航空総隊司令部で防衛部長を務める今城だ。
F-2戦闘機のパイロットとして現場で活躍し、その総フライト時間は3049時間、F-2戦闘機のフライト時間は649時間を数える。
ところで航空自衛隊には、ラストフライトを終えたパイロットにバケツ一杯の水を思いっきりぶっかけるという既習が在る。
そして2017年8月2日に三沢基地で行われた今城のラストフライトでは、水をぶっかけた一人に在日米軍第35戦闘航空団司令官のR・スコット・ジョーブ大佐がいた。
上記画像の1枚目がそのラストフライトの時のものだが、さすがに米軍との共用基地といったところだろうか。
在日米軍の公式フェイスブックでもその時の模様が見られるが、もうシャレにならない勢いで水をぶっかけているのが印象的であった。
それにしてもこれ、今城空将補も予め、マジックテープで着脱可能なものは階級章を含めて全部取り外してますよね・・・笑
話を元に戻す。
さて、その今城だがF-2戦闘機のパイロットなので、やはりそのキャリアの多くで、第3航空団・三沢基地とともにあった。
その経歴を見ると、今城はまさに、我が国がF-2戦闘機を導入する黎明期において、その中心的役割を担ったパイロットの一人であることがわかる。
F-2戦闘機のパイロットに繋がるキャリアは、平成8年7月から空軍交換幹部として米国に渡り、F-16の教官操縦士に就くところから始まる。
この期間、米国でF-16の操縦と訓練を十分に受け、11年6月に第3航空団に戻ると、12年10月からはさっそく臨時F-2飛行隊に配属となった。
我が国で最初の、F-2戦闘機部隊だ。
ご存知のように、F-2戦闘機はF-1戦闘機の後継機ではあるが、米軍の横槍もあり、日米共同で開発されている。
そしてF-2戦闘機の開発においては、そのベースになったのがF-16であった。
そのためF-2の導入に先立つこと4年前に、今城が米国に渡り、初代となる臨時F-2飛行隊の隊員として活躍するためF-16戦闘機の操縦に精通することを求められたのだろう。
言ってみれば、F-2戦闘機部隊の生みの親とも言える存在であり、以降その期待に応え続け、空に上がり続けた。
そんな頼もしい男が今、我が国の航空戦力のほぼ全てを運用する航空総隊において、防衛部長を務めている。
ぜひ、このイケメンにはそんなキャリアが隠されていることも、知っておいて欲しい。
では、そんな要職を歴任した今城とはこれまで他に、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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