更谷光二(さらたに・みつじ)は昭和41年7月20日生まれ、奈良県五條市出身の陸上自衛官。
地元の智辯学園高校を卒業後に防衛大学校(管理)に入学し、平成元年3月に陸上自衛隊に入隊しているので防大第33期、幹候70期ということになる。出身職種は航空科だ。
防大時代は、アメフト部で活躍した。
令和2年3月 第1ヘリコプター団長兼ねて木更津駐屯地司令(木更津)・陸将補
前職は東北方面総監部幕僚副長であった。
(画像提供:陸上自衛隊第1ヘリコプター団公式Webツイッター)
2020年5月現在、第1ヘリコプター団長兼ねて木更津駐屯地司令を務める更谷だ。
第1ヘリコプター団は「空の殴り込み部隊」というべき存在であり、陸上自衛隊の中でも精鋭中の精鋭航空隊員が揃う。
第一空挺団を始めとした即応戦力の機動力となり、2018年3月から始まった陸自大改革の中核戦力とも言える存在で、我が国の安全保障政策上でも極めて重要な役割を果たす。
特に、南西方面島嶼部で現実的な驚異に直面する我が国にとって、その存在は打撃力そのものであり、更谷にかかる自衛隊内外の期待は極めて大きい。
これほどの要職を任される更谷のことだ。
そのキャリアは極めて充実しているが、あえて1つ印象的なポストを挙げるとすれば、それは平成19年6月から務めた、在ミャンマー防衛駐在官としての活躍だろうか。
ミャンマーは、ご存知のように旧国名をビルマと言い、日本陸軍が英米軍と激戦を繰り広げた地として知られる。
イラワジ会戦やメイクテーラ会戦が有名だが、今も多くの英霊が日本に帰還できず、同地の土となっている非常に心が痛む歴史を持つ。
また、戦後長らく軍政が敷かれ、アウン・サン・スー・チー女史による民主化運動などで国際的にも注目された近現代史を持つ国でもある。
対日感情は良好だが、その一方で、今でも軍部の影響力は非常に強く、政治が軍事と密接に結びついている国情があり、欧米との関係は悪化と好転を繰り返している。
そのような中で、日本が東南アジア地域への影響力を行使するために独自の立ち位置を確保し、同国と我が国との国益のバランス、欧米各国との関係調整に非常に苦心してきたのが、ミャンマーを巡る歴史だ。
このような国情では、陸自の防衛駐在官の役割が歴史的に、外交において非常に大きな役割を担ってきた。やはり軍人は、軍人同士での会話でのみ意思疎通を図ろうとする傾向があるためだ。
特に、更谷がミャンマーにあった2007~2009年といえばちょうど、軍政から民政への移行期にあたり、ミャンマーが新憲法を発布したのも2008年のことである。
言い換えれば、軍部の動向次第で国運が決まり、また時にはその意志を通すために政治的な駆け引きを繰り広げる中で、諸外国、とりわけ日本との新しい関係構築にもさまざまな動きをしていたであろうタイミングであった。
その多くが明らかになることはないが、更谷もきっと、墓まで持っていくであろう様々な機密に触れたのではないだろうか。
このような、決して人に知られる事がないところでも、我が国の自衛官は世界と我が国の平和と安全に大きく貢献している。
ぜひ、更谷という自衛官のキャリアを通じ、この防衛駐在官という仕事にも興味を持ってもらえれば幸いだ。
では、そんな更谷とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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