西田健(第26普通科連隊長・1等陸佐)|第38期・陸上自衛隊

西田健(にしだ・たける)は昭和45年8月28日生まれ、北海道出身の陸上自衛官。

防衛大学校第38期の卒業(通信工学)で幹候75期、職種は普通科だ。

平成28年8月(2016年8月)  第26普通科連隊長兼ねて留萌駐屯地司令・1等陸佐

前職は第15旅団第3部長であった。

なお、第26普通科連隊長としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】
「所命必遂」

【要望事項】
「改善・向上せよ」「感謝の心を持て」

【駐屯地司令要望事項】
「地域に愛され、頼りになる駐屯地の育成」

(画像提供:陸上自衛隊留萌駐屯地公式Webサイト

2019年1月現在、「北鎮師団」第2師団隷下にあり、 第26普通科連隊長を務める西田だ。

文字通り北の国境・対ロシア戦闘の最前線にあり、名寄駐屯地の第3普通科連隊とともに我が国の北辺を警護する。

特に第26普通科連隊の所在する留萌の場合、港町であり、対岸すぐの場所にはロシア語で「東方征服」を意味するウラジオストックが存在しているというロケーションにあたる。

言ってみれば、軍事的緊張が高まっていない平時にこそ様々な想定に基づいた訓練が必要な要衝であり、その駐屯地司令たる西田に対する期待値が低い訳がない。

冬の強烈な低気圧の影響をまともに受ける地域特性とも併せて、精強な幹部曹士が揃うことで知られるこの精鋭部隊を任されている。

ところでその留萌について。

冬になると毎年、地吹雪などでホワイトアウトした光景が繰り返しテレビで報じられるほどに、国防の任務だけでなく住民の生活も非常に厳しい。

そんなこともあるのであろうか。

地域柄、自衛隊以外に精強でまとまった人手がなかなか確保しづらいと言うこともあるのだと思うが、留萌には少しユニークな災派の歴史がある。

一例を挙げると、

天売・焼尻の毒蛾駆除のため33名災害派遣(昭和37年)
天売・焼尻の毒蛾駆除のため88名災害派遣(昭和38年)
天売島で海馬(とど)退治73名災害派遣(昭和40年)
天売島で海馬(とど)退治28名災害派遣(昭和41年)

などは本来、行政の仕事であり自衛隊の災派では取り扱わないのではないだろうか。

いかにも留萌らしい任務だ。

他にも、

明元町倉庫火災244名災害派遣(昭和31年)
ホテル「千望閣」火災、第3科長 栗原3佐以下168名災害派遣(昭和57年)
羽幌町、老人行方不明により災害派遣(平成3年)

などといった災派も、本来であれば消防に属する仕事であり、なかなか地方自治体の長から自衛隊に災派要請が出る事案ではなさそうだ。

他にも、山や川で遭難し、あるいは行方不明になった人たちの捜索活動に広く留萌駐屯地の精鋭が活躍しているが、これも自衛隊と地域が一体として活動していることの証左なのだろう。

とても素晴らしいことであり、どこか羨ましくも思う。

では、そんな厳しい留萌の地にあって任務に邁進する西田とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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