壁村正照(かべむら・まさてる)は昭和39年生まれ、大分県日田市出身の陸上自衛官。
防衛大学校第30期の卒業で幹候67期、職種は野戦特科だ。
平成30年8月(2018年8月) 第15旅団副旅団長兼ねて那覇駐屯地司令・1等陸佐
前職は西部方面特科隊長兼湯布院駐屯地司令であった。
(画像提供:陸上自衛隊第15旅団公式フェイスブック)
2019年2月現在、我が国の国防の最前線・沖縄那覇の第15旅団で副旅団長を務める壁村だ。
尖閣諸島に対する野心を隠そうとしない中国人民解放軍の正面に立つ部隊であることは言うまでもなく、2019年現在でもっとも緊張状態の高まる地域を防衛する。
なお尖閣で紛争が発生するとなれば、確実に石垣島、宮古島にもその火種は延焼するだろう。
そういった意味では、その防衛管轄下にある全ての島嶼部に迅速に展開する能力が求められ、壁村にかかる期待と責任は極めて大きく、そして重い。
そんな要職を担う壁村のことだ。
これまでのキャリアの全てが印象深いポストばかりだが、敢えて上げるとすれば、それは平成17年6月から務めた、フィンランド兼エストニア防衛駐在官のポストだろうか。
フィンランドは第二次世界大戦前後のタイミングで、ソ連から2度に渡り一方的な侵略を仕掛けられ、様々な政治情勢の中で連合国の支援を受けることができず、一時は国家が滅亡することが確実視されていたほどであった。
しかしながらこの北欧の小国は、国土の地形と自然環境を巧みに味方につけ、各地で次々にソ連軍を撃破。
歩兵戦力で4倍、戦車勢力で200倍、航空機勢力で30倍を超えるソ連を相手に思わぬ善戦を見せ、その死傷者数はフィンランド側10万人に対しソ連側は少なくとも50万人以上と見積もられているなど(冬戦争、継続戦争の合計)、極めて粘り強い抵抗を見せる。
この戦争の結果、フィンランドは国土の一部を割譲させられソ連に奪われたものの、驚異的な抵抗を見せたことで国家としての独立を守ることができ、ソ連はついに戦争目的の達成を断念し撤退。
無抵抗でソ連の進駐を受け入れたバルト三国がソ連に吸収され、ソビエト連邦の一部とされたことと対照的な結果になった。
多大な犠牲を払ってでも戦い独立を守るべきなのか。
力には無条件で従い国家を失う方がマシなのか、といった比較でよく引き合いに出される戦争だが、そんなフィンランドに壁村は、防衛駐在官として赴いた経験を持つ。
おそらく、圧倒的に強大な敵と対峙した時の小国の戦い方や情報収集の在り方、組織の維持や国民保護の在り方と言った考え方について、大きな収穫があったのではないだろうか。
無抵抗で吸収されることになったエストニア兼務であったことと含め、我が国はどのような国防政策を実現していくべきなのか。
きっと壁村にも、多くの収穫があったはずだ。
では、そんな要職を歴任してきた壁村とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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