廣惠次郎(ひろえ・じろう)|第33期・陸上自衛隊

Pocket

廣惠次郎(広恵次郎)は昭和41年11月2日生まれ、岡山県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第33期の卒業で幹候70期、出身職種は通信科だ。

 

平成29年8月(2017年8月) 第39代陸上自衛隊通信学校長兼ねて久里浜駐屯地司令・陸将補

前職は統合幕僚監部指揮通信システム部長であった。

 

なお廣惠については、統合幕僚監部指揮通信システム部長時代のプロフィールに岡山県の出身とあったが、防衛年鑑にはなぜか奈良県出身との記載があり、統幕のプロフィールを優先し岡山と記載している。

 

2018年4月現在、陸上自衛隊通信学校長にある廣惠だ。

通信科は戦闘の際はもちろん、災害発生時においても部隊運用の要となる職種であり、通信科が機能しなければあらゆる部隊が無力化する。

近代戦に於いてはその勝敗を握るほどの影響力があり、まさに用兵者にとっての目であり耳である部隊だ。

 

その通信科の幹部曹士を教育し、術科教育を行う通信学校の校長にある廣惠だが、出身職種はもちろん通信。

広く通信の現場で指揮を執り、また統合幕僚監部指揮通信システム部長を務めるなど、より強靭に、さらに機能する組織の確立にも尽力をしてきた。

 

その経歴は通信科の最高幹部として非常に充実しているが、中でも特筆するべきは、やはり東日本大震災の現場における活躍だろうか。

廣惠は当時、陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛交流班長。

震災発生に際し、自国の災害のように尽力をしてくれた米軍の救援部隊の活躍は、日本国民の誰にとっても記憶に新しいが、防衛交流班長であった廣惠はこの際、米軍との調整役を任される。

 

そして双方の意思疎通を、通信の分野でもスムーズに図れるべく調整を試みるが、未曾有の大震災に際しその仕組みづくりは難航。

結局、廣惠自身も「駆け付けてくれた部隊を有効な現場に投入するまで、3日を要した」と述懐するほどに、状況把握と通信インフラの回復が大きな課題となった。

 

災害発生から二日間。

陸自の地元部隊などは、被災地にありながら状況を把握できず、通信インフラが途絶している中でも救助活動を開始した。

部隊指揮官は目の前の危機に際し、可能な限りの戦力を投入したが、やはり情報が不足する中では目に見える事象に対する逐次投入になり、もっとやれることが在ったと、多くの指揮官が当時を振り返る。

廣惠自身も、災害発生時における通信インフラの確立に最前線で当たり、その苦労を肌感覚で得た貴重な経験値を元に、さらに強靭な通信職種の確立に尽力してくれるのではないだろうか。

 

 

さて次に、その廣惠を含む33期の人事の状況について見てみたい。

なお上記の画像は、海自の横須賀地方隊で撮影されたもので、左から航空自衛隊の丸山潔(第34期)・第1高射群第2高射隊長、道満誠一(第26期)・横須賀地方総監、上地横須賀市長、廣惠、滝澤博文(第29期)・陸上自衛隊高等工科学校長兼ねて武山駐屯地司令だ。

※肩書はいずれも2017年11月当時。

既に退役した道満元海将と共に、廣惠自身もにこやかに写る貴重な1枚である。

 

33期の人事についてだ。

廣惠が陸上自衛隊に入隊したのは平成元年3月。

1等陸佐に昇ったのが20年1月であり、同期1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

陸将補に昇ったのは27年3月だったので、こちらは同期から7ヶ月の遅れとなるが、言うまでもなく相当なスピード出世であり、超がつくほどの33期のエリートである。

 

なお2018年4月現在で、33期組の陸将補にあるものは以下の通りになっている。

33期組は2020年に最初の陸将が選抜される世代なので、下記の幹部たちが同期の出世頭だ。

 

冨樫勇一(第33期)・統合幕僚監部報道官(2014年8月)

山根寿一(第33期)・東北方面総監部幕僚副長(2014年8月)

牛嶋築(第33期)・陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部長(2014年8月)

末吉洋明(第33期)・統幕運用部副部長(2014年8月)

廣惠次郎(第33期)・通信学校長(2015年3月)

児玉恭幸(第33期)・陸上幕僚監部監察官(2015年8月)

梅田将(第33期相当)・大阪地方協力本部長(2015年12月)

酒井秀典(第33期)・第1ヘリコプター団長兼ねて木更津駐屯地(2016年3月)

宮本久徳(第33期)・第1高射特科団長(2016年12月)

堀江祐一(第33期相当)・陸上自衛隊高等工科学校長兼ねて武山駐屯地司令(2017年3月)

楠見晋一(第33期)・東京地方協力本部長(2017年8月)

※肩書はいずれも2018年4月現在。( )内は陸将補昇任時期。

※2018年3月の昇任将補について未確認のため、追記する可能性あり。

 

上記のようになっており、廣惠については唯一、1選抜で昇任した4人に続く2番手の将補昇任であった。

陸自では、1選抜で将官に昇ることはそのまま将来の陸上幕僚長候補であることを意味し、2番手の廣惠については、それに次ぐ位置づけと言ってよいだろう。

通信職種として務めるべきポストは全て昇り詰めてしまったので、次の異動では、全軍を俯瞰するポストを任され、さらに要職を歴任していくことになりそうだ。

 

ここしばらく、1選抜もしくはそれに次ぐポジションにあった通信科出身の陸将補はほとんどいなかったのではないだろうか。

そういった意味でも、廣惠の活躍と今後の異動は興味深く、注目し応援していきたい。

 

本記事は当初2017年8月23日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年4月5日に整理し、改めて公開した。

◆廣惠次郎(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
元年3月 陸上自衛隊入隊(第33期)
12年1月 3等陸佐
15年7月 2等陸佐
15年8月 中央資料隊付
17年8月 陸上幕僚監部防衛部防衛課
20年1月 1等陸佐
20年8月 陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛交流班長
23年4月 西部方面通信群長
25年3月 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官
25年8月 陸上幕僚監部防衛部情報通信・研究課長
27年3月 陸将補
27年8月 統合幕僚監部指揮通信システム部長
29年8月 陸上自衛隊通信学校長兼ねて久里浜駐屯地司令

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省 統合幕僚監部公式Webサイト(指揮通信システム部長プロフィール画像)

http://www.mod.go.jp/js/Joint-Staff/js_j6.htm

防衛省陸上自衛隊 久里浜駐屯地公式Webサイト(顔写真及び訓練風景)

http://www.mod.go.jp/gsdf/sigsch/sirei.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/sigsch/gallery/index.html

防衛省海上自衛隊 横須賀地方隊公式Webサイト(協定締結式)

http://www.mod.go.jp/msdf/yokosuka/news/29/29.html

Pocket