梅田将(うめだ・すすむ)|第33期相当・陸上自衛隊

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梅田将は昭和38年5月21日生まれ、福井県出身の陸上自衛官。

神奈川大学法学部(二部)を卒業し、平成元年3月に幹部候補生学校に入校しているので、幹候70期の防衛大学校第33期相当ということになる。

出身職種は通信科。

 

平成29年3月(2017年3月) 自衛隊大阪地方協力本部長・陸将補

前職は東北方面総監部幕僚副長であった。

 

なお、防衛年鑑2017には、出身地は埼玉県という記載があるが、大阪地方協力本部の公式Webサイトにおいて、梅田自らが福井出身であることを記載しているため、公式サイトの情報を優先し福井出身としている。

 

少しややこしいプロフィールの書き方をしたが、梅田のキャリアはとても常人には真似の出来ない、際立ったものになっている。

すなわち、梅田が陸上自衛官として人生最初のキャリアを歩み始めたのはまだ15歳の頃。

そのスタートは、陸上自衛隊少年工科学校であった。

現在の高等工科学校であり、昭和54年のことで生徒第25期である。

 

その後少年工科学校を卒業し、陸曹に任官して部隊勤務をする傍ら、神奈川大学の夜学に通い部隊勤務と大学生を掛け持ちする常人離れした生活を送り、無事に卒業。

さらに平成元年に一般幹部候補生に合格し幹部候補生学校に入校するという、異色のキャリアを持っている。

 

昭和38年生まれ(1963年生まれ)で平成元年(1989年)に幹部候補生学校入校であれば、ストレートに防大を卒業した年齢に比べ3年遅れという事になるであろうか。

にもかかわらず、陸自最難関の試験であるCGS(指揮幕僚課程)をパスし幹部高級課程を修め、陸将補に昇りつめるというキャリアは見事という他ない。

常に最大限の努力を重ね、あらゆることに手を抜かずに全力で任務と勉強に励みキャリアを積み上げてきた姿勢はまさに自衛官の鑑であり、少年工科学校出身者の誇りだ。

防衛大学校から幹部になった他の将官とは全く違う存在感を放っており、一際注目をしたい陸将補であると言って良いだろう。

 

 

その梅田が2018年1月現在で務めているポストは自衛隊大阪地方協力本部長。

自衛隊と地域を繋ぎ、優秀な若者に一人でも多く自衛官を志してもらい、防災訓練などで自衛隊の持つノウハウを地域に還元し、あるいは早期退役した自衛官の再就職口を探すという、国防の最前線に立つ要職である。

 

国防の最前線というと、どうしてもスクランブル対応をする航空自衛隊や、南西方面の海に潜る潜水艦部隊や洋上の自衛艦乗組員、あるいは北海道の機甲科や西部方面普通科連隊に沖縄方面の陸自隊員といった存在が、まず思い出されるかもしれない。

しかしながら、自衛隊が精強さを保つためには任期制自衛官(陸士、海士、空士)の存在が不可欠であり、また下士官や幹部自衛官の早期退職制度がその根幹を支えている事実がある。

 

その一方で、国防に若い時代を捧げ、あるいは長年に渡りその人生を捧げた自衛官を、「そうする必要があるから」という理由だけで放り出していい道理などあり得ない。

このような高い志を持った人材の再就職を受け入れる民間企業があってこその制度であり、また何よりも、並のサラリーマンとは気合の入り方が違う自衛隊で揉まれた隊員たちであって、その知見が民間の会社にとっても利益に繋がることは明らかだ。

 

そしてこのような制度は、各地にある地本(地方協力本部)あってこそ成り立つものであって、自衛官にとってはある意味不慣れな「売り込み」も必要になるポストでもある。

そのため地本長(地方協力本部長)に就く人物は、優秀でありながら社交性に優れ、人に愛され、それでいて高級幹部としての風格を持つ人物が選ばれることが多い。

なおかつ、全国の地本長は基本的に1佐職が多いが、東京や沖縄など、地理的もしくは政治的に重要なポストになる地本長は陸将補が当たることになっている。

 

そして梅田が務めている大阪地本も陸将補相当職。

この重要なポストを任された梅田の能力、知見、人柄、その全てが卓越したものであることを物語る補職であると言えるだろう。

 

 

ところで、その梅田が長年務めてきた職種は通信科だ。

通信科と言えば、どこか無線でやり取りをするだけの技術士というイメージがあるかもしれないがもちろんそんな簡単なものではない。

そもそも、軍事組織が組織として機能するためには、迅速で正確な通信機能と技術が不可欠であり、それだけでも戦闘の帰趨を決定付ける要因になった史実は数多く、その事例は枚挙に暇がない。

しかしそれ以上に、陸上自衛隊の通信科に期待されている役割は、現代の戦闘にとって極めて重要な意味合いを持つ電子戦の担い手としての役割であり、また撮影された画像や傍受した電波などから敵性国家の意図を分析し、その隠された目的を見抜くという役割も担っている。

 

いわば、好むと好まざるとにかかわらず専守防衛という体制を取っている我が国の防衛体制の中で、戦争や紛争の意図を事前に見抜き、その兆候を政治家サイドに投げ、外交力で平和と安全を守るための実働部隊の役割も、通信科には託されているといえるだろう。

 

東日本大震災が発生した際も、即日現地に駆けつけた普通科連隊長、あるいは施設団団長がまず感じた大きな課題は、「通信が途絶しているため、どこにどれだけの戦力を投入するべきかの判断がつかない」というものであった。

やむを得ず、災派に向かった各指揮官の判断で目の前にある課題を片付け、出来ることから始めるという体制から始まった救命・救助の作業であったが、少なくとも自衛隊の意思決定権者と部隊指揮官の通信さえ確保できていれば、また違った進め方があったかもしれない。

 

一方で、今の我が国の技術では、軍民共用のインフラに便りながら通信手段を確保し、指揮命令系統を維持する仕組みになっている側面があることも否定できない。

東日本大震災に出動した各指揮官の教訓を元に、新たな仕組みと体制が検討されていると思われるが、予算や時間の制約から考えても未だ道半ばであることは間違いないはずだ。

 

そんな中、通信科出身で陸将補に昇り、大阪地本長経験者としてさらに要職を歴任することが予想される梅田には、イニシアティブを取って改革するべき課題が山積しているはずだ。

陸自の最高幹部として影響力を発揮し、通信科出身の知見を活かしてさらに活躍されることを心から期待したい。

 

「努力と根性の男」、梅田将。

その活躍には今後も注目し、心から応援していきたい。

 

本記事は当初2017年8月29日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年1月17日に整理し、改めて公開した。

 

 

◆梅田将(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
54年3月 陸上自衛隊少年工科学校(現高等工科学校)入校

(補職年月日不明)
第8通信大隊
通信教導隊
幹部学校付指揮幕僚課程
通信学校第1教育部教官
長官官房広報課報道室
陸上幕僚監部防衛部防衛課編成班
第3通信大隊長兼第3師団司令部通信課長

平成
元年3月 幹部候補生学校(第33期相当)
12年1月 3等陸佐
15年7月 2等陸佐
20年1月 1等陸佐
20年3月 幹部学校付幹部高級課程
21年3月 統合幕僚学校学校教官
21年7月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練計画課制度班長
23年4月 陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛調整官
24年8月 中部方面通信群長
25年8月 陸上幕僚監部人事部厚生課長
27年12月 東北方面総監部幕僚副長 陸将補
29年3月 自衛隊大阪地方協力本部長

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省大阪地方協力本部 公式Webサイト(顔写真など)

http://www.mod.go.jp/pco/osaka/about/message.html

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