三宅優(みやけ・まさる)|第27期・陸上自衛隊

三宅優は昭和35年12月7日生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。

防衛大学校卒業は第27期(管理)で職種は特科。

2017年7月に発生した、いわゆる「南スーダン日報隠蔽問題」に絡み、第35代陸上幕僚長である岡部俊哉(第25期)が事実上の引責辞任に追い込まれ、後任として北部方面総監である山崎幸二(第27期)が後任の第36代陸上幕僚長に就任。

この人事の影響で、27期組である三宅は退職勧奨を受け、自衛隊東京地方協力本部長・陸将補の職を最後に勇退することとなった。

東京地本本部長就任が28年7月であったため、順調に行けばおそらく2018年3月、陸上総隊の創隊に合わせ山之上哲郎(第27期)が初代司令官に、山崎幸二がこのタイミングで陸上幕僚長に就任するはずであっただろう。

いわば人事のとばっちりを受けて引退の時期が早まってしまった感がある。

三宅の陸上自衛隊人生は特科とともにあり、特科がもっとも華やいでいた時代に自衛隊員になり、そして兵科の縮小に遭って、そしてまた南西方面において特科の重要性が見直されつつある中での退役となった。

三宅から多くのことを受け継いだ特科の後輩たちがきっと、さらに訓練と職務に励み、我が国の平和と安全を力強く守っていってくれることだろう。

【以上、2017年8月2日更新】

以下は2017年7月現在の記事であり、2017年8月の人事異動を反映した内容になっておらず、それまでの三宅のキャリアについて記したもの。

平成28年7月(2016年7月) 自衛隊東京地方協力本部長・陸将補。

前任は西部方面特科隊長であった。

三宅が自衛官になったのは昭和59年3月で、まだまだ冷戦構造が残る時代。

ソ連の我が国領土に対する着上陸の脅威は現実的なものであり、そんな時代にあっては敵性勢力の着上陸阻止・着上陸勢力に対する面攻撃での殲滅支援という意味で、特科の存在は極めて大きなものであった。

三宅が第13特科連隊に着任し、初めて指揮を執ったのはそのような時代であった。

その後も順調に特科でキャリアを重ねていくが、ソ連の崩壊と緊張関係の緩和の中で、我が国の仮想敵国は次第に中国となっていき、南西方面防衛にシフト。

このような防衛思想の変遷の中で特科は次第に縮小傾向になっていくが、そのような中で特科の指揮を執り続けた三宅のキャリアで、ある意味で印象深いのは第6地対艦ミサイル連隊長のポストであろう。

第6地対艦ミサイル連隊ほど、ある意味で僅かな期間だけ存在し、わずか10年で解散になった連隊も珍しい。

同隊は2001年に宇都宮駐屯地で編成が完了したものの、2011年に廃止され、現在は存在しない。

三宅はその第3代連隊長を務めたが、連隊は4代目連隊長辻本正彦が最後の連隊長となった。

一方で、このミサイル連隊ほど政治と予算に翻弄され、中長期的な防衛思想が無いままに「財務省」と「内局」の思惑で振り回されてしまった兵科もないかもしれない。

ミサイル連隊は第6連隊が廃止されただけでなく、中期防2005(中期防衛力整備計画 2005年版)においては3個連隊体制まで縮小し、2個連隊は大隊規模にまで縮小する方針が決定されていた。

その一方で、皮肉にも2005年以降、中国の南西方面海域における軍事的な挑発の動きが活発化し離島防衛が我が国の喫緊の防衛課題になる中、地対艦ミサイル連隊の重要性と特科の必要性が改めて見直され、政策の変更が行われる。

この結果、中期防2011においてミサイル連隊は5個連隊体制の維持が決まり、新たな兵装の取得も決定。

さらに南西方面における敵性勢力の着上陸阻止のため、航空戦力がそうであるように、地対艦ミサイル連隊の南西シフトが予定されており、まず平成30年に八戸在住の第4ミサイル連隊が沖縄・第15旅団隷下に編入。

中国の野心を阻止する抑止力として、再び特科が見直される時代になったといえる。

三宅の陸上自衛官人生は、花形であった特科が次第に縮小の憂き目に会い、寂しい時代を過ごしたと言えるが、「必要ない兵科」など、そもそもそう存在するものではない。

時代がまた特科を必要とし、新たな予算すら付き始めた中で、今は何を思うのだろうか。

また三宅のキャリアでは、同じ第6地対艦ミサイル連隊長兼ねて宇都宮駐屯地司令時代に携わった、中央即応連隊の立ち上げが印象的だ。

数々の国際貢献活動に貢献し、また日本国内から精鋭中の精鋭を集め編成された中央即応連隊。

軽武装・高機動で、事ある時には国内外を問わずまず一番に駆けつけ事態の鎮圧にあたる最高の実力集団だが、この連隊は三宅が宇都宮駐屯地司令時代に宇都宮で準備隊が編成され、即応連隊に編成が完結された。

指揮命令系統が違うため、この連隊の創設は三宅の隷下で行われたものではないが、それでも同じ駐屯地内に編成されたこの新しい戦力に、特科のスペシャリストである三宅の知見が陰に陽に関わったことは明らかであろう。

いまや我が国の防衛政策の根幹をなす存在となった中央即応連隊であり中央即応集団。

2018年3月の陸上総隊新設で編成変えが予定されているものの、その設立に関わった三宅の思いはきっと形を変えても、継承されていくに違いない。

◆三宅優(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
58年3月 防衛大学校 第27期卒(横須賀)
59年3月 第13特科連隊(日本原)

平成
1年11月 第13特科連隊中隊長(日本原)
4年8月 幹部学校指揮幕僚課程(目黒)
6年8月 富士学校特科部(富士)
7年8月 陸上幕僚監部教育訓練部(檜町)
12年3月 第10特科連隊第1大隊長(豊川)
14年3月 幹部学校幹部高級課程(目黒)
15年3月 福岡地方連絡部募集課長(福岡)
16年8月 陸上幕僚監部人事部募集課総括班長(市ヶ谷)
17年12月 第6地対艦ミサイル連隊長(宇都宮)
20年8月 第12旅団司令部幕僚長(相馬原)
22年3月 研究本部研究開発企画官(朝霞)
24年3月 福岡地方協力本部長(福岡)
26年8月 西部方面特科隊長(湯布院)
28年7月 自衛隊東京地方協力本部長(市ヶ谷)
29年8月 東京地本本部長の任を最後に勇退

◆姓名判断

才能に恵まれ多方面で活躍し結果を残すが、人が良く控えめな性格であるため、評価が目立たない人物に多く見られる相。

行動力があり、また新たなことにも積極的に取り組むチャレンジ精神をもっているものの、社内営業に興味がないため実力が評価されづらい。

実力が素直に評価される組織に身をおくことを心掛けると、一つ上のステージで活躍できる。

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 湯布院駐屯地公式Webサイト(離任式写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/yufuin/sintyakurityakunin.html

防衛省陸上自衛隊 東京地方協力本部公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/pco/tokyo/about/d_general_profile.html

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