開雅史(ひらき・まさし)は長崎県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第40期の卒業で幹候77期、職種は普通科だ。
生年月日は判明しないが、第40期はストレートの場合、昭和48年度の生まれということになる。
平成30年8月(2018年8月) 陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部指揮通信システム課企画班長・1等陸佐
前職は第51普通科連隊長であった。
なお、第51普通科連隊長であった時の指導方針は以下の通り。
【統率方針】
「分隊」
【要望事項】
「積極進取」
(画像提供:陸上自衛隊第15旅団公式フェイスブック)
(画像提供:陸上自衛隊第51普通科連隊公式Webサイト)
2018年9月現在、陸上幕僚監部の指揮通信システム・情報部指揮通信システム課で企画班長を務める開(ひらき)だ。
2018年8月まで、国防の最前線である沖縄・那覇で第51普通科連隊を率いていたが、中央に呼ばれ陸幕の班長ポストに着任し、順調なキャリアパスを重ねている。
なお上記写真・・・なかなか強烈なインパクトだが、開の記事を書き直す時には絶対に使わせて頂こうと決めていた一枚だ。
開を中央に左側は、第51普通科連隊の有村2曹であり、右側は衛生小隊長の上田2尉である。
まるで水戸黄門をサポートする助さん格さんのように、腕っぷしの強いガタイの良い助っ人と、知恵を使って悪を滅ぼす知恵袋の助っ人のようである。
なお、それぞれどちらを意識しているかは、ご想像にお任せしたい・・・。
その開について。
さすがに、陸幕での仕事をご紹介しても詰まらないので、やはり前職である第51普通科連隊長ポストのご紹介を、まずは進めていきたい。
第51普通科連隊は、先述のように沖縄・那覇に所在して、離島を含む沖縄全域の警備を担当する部隊だ。
つまり、中国人民解放軍の隠そうともしない野心を正面から受け止め、その意図を挫き、あるいは阻止する最前線に立っていた最高幹部ということになる。
いわば、冷戦時代から今もなお、多くのエースがその重責を担い続けている第3普通科連隊(名寄)にも似た、名実ともに我が国の尖兵となる精鋭を率いていた男である。
2018年2月からは、2017年3月の陸自大改革で誕生した水陸機動団の要員を育てる「水陸両用基本訓練課程」の教育を担当するなど、改革期にあたり非常に重い責任を任されてきた。
ただでさえ、その構成員は陸士に至るまで空中機動に通じることを要求される、我が国の普通科連隊の中で特殊な存在感を放つ第51普連である。
その連隊長たるポストは、並の1等陸佐にはとても務まるポジションではなく、それだけでも開にかかる陸自内外の期待の大きさが伺えるが、ではそんな要職を任された開とはどんなキャリアを歩んできた幹部なのか。
ぜひ、詳しくご紹介していきたい。
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